2010年7月11日
2010年7月11日 礼拝メッセージ
「教会の働き」
【説教者】 林巌雄牧師
【聖 書】 使徒行伝6章1節~7節 第一コリント12章12節~27節
【説教要約】
生まれたばかりのエルサレムの教会では、集まった者同士で助け合い支えあっていましたが、あるとき、食べ物のわかちあい方で問題が起こりました。そこで、食卓のことを担当する人々が選ばれました。
ところが、やがて、この人々は、食事のことだけでなく、み言葉の宣教やお祈りにもたずさわるようになりました。ステパノやピリポがそうです。
このことは、神さまの言葉を語ったり祈ったりすることと、教会の兄弟姉妹とわかちあい教会の外の人々に奉仕すること、この二つが切り離せない一つの働きであることを示しているように思われます。
また、その十数年後、かつてパウロがコリントで建てた教会で、「自分たちこそが正しい」と主張するグループがいくつかあらわれたり、お金持ちが貧しい人々を粗末に扱ったりするようなことが起こりました。
パウロは遠くからコリントの教会に手紙を書き、教会は「キリストのからだ」であること、わたしたちはそのからだにつらなる手、足、目、耳といった肢体であること、どの肢体も大切であること、とくに、一番弱い肢体こそが一番大事であること、ともに悩み、ともに喜ぶべきことを伝えました。
教会が「キリストのからだ」であるとは、つまり、教会は、イエス・キリストが働かれる場であることです。わたしたちは、イエスさまが現代の教会でどのような働きをしてくださるか、想像しながら、また、その働きを信頼しながら、教会につらなりつづけたいと願うのです。また、教会の働きに用いられたいと祈るのです。