私たちは聖書を信じるプロテスタントの教会です。          【教会目標】 キリストの愛が満ち 福音宣教に生きる教会

2015年11月1日 「生かすも殺すもあなた次第」

2015年11月1日 「生かすも殺すもあなた次第」

【聖 書】ルカによる福音書5章33~39節

【説 教】齋藤 篤 牧師

【説教要旨】

 「あの人も、この人も、み~んなやっているのに、どうしてあんただけやっていないんだ!」
 こんな言葉を、私たちは耳にすることがあります。大勢の人たちが行っている慣習があるとすれば、そんな環境の中で、「自分だけ慣習に従っていない」ということを公言したり、表明したりするというのは、結構勇気のいることであったりします。2000年前、イエス様がユダヤ教の数々ある慣習の中で、同じような問いを投げかけられていました。聖書では、「断食」という伝統的宗教行為をモティーフにして、この問いに対する、イエス様の考えが綴られ、述べられています。
 イエス様が一貫して、伝えようとしたのは何か。それは「本質に生きる」ということです。どんなに素晴らしい習慣であったとしても、「本質」を考えることが無いならば、その慣習をすること自体、意味が無くなってしまうという事実を明らかにします。世の中では、そのようなことを「形骸化」、つまり形式ばかりにこだわった結果、中身の無い状態、つまり本質が伴わないことの虚しさがあることを、私たちも経験で知っているのです。
 断食をなぜしない?という人々の問いに、イエス様は、断食が必要な時にはそれを弟子たちは行うとう返答をされます(34-35節)。これは本質を求めた結果に起きる考え方です。それは、「惰性に生きる」ということとは逆の生き方です。そこで、イエス様は「古さと新しさ」ということを題材にした、たとえをお話しになられました。これらのたとえは、私たちの慣習が「歴史や伝統」として継承されるとき、それに対する私たちの態度について、素晴らしいアドヴァイスを与えています。
 私たちは「本質に生きる」ことが、結果として、受け継がれる歴史や伝統というものが、さらに豊かにされていることを実感できます。旧態依然の状態に、いきなり新しい風が吹き込まれても、新しいものが生かされることは大変難しいのです。新しい風が新しい風となるためには、それを受け入れる側も、それを受け入れるだけの心のしなやかさが必要であるということです。つまり、歴史や伝統を作り上げ、それを継承するためには、物事に対する柔軟さが、私たち一人ひとりに求められているということです。まさに、「生かすも殺すも」私たちが、いかに聖書と聖霊様によって生み出される、神様の声と助けに耳と心を傾けるかにかかっているのです。

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