私たちは聖書を信じるプロテスタントの教会です。          【教会目標】 キリストの愛が満ち 福音宣教に生きる教会

2015年12月20日 「ことばのプレゼント」

2015年12月20日 「ことばのプレゼント」

【聖 書】ヨハネによる福音書1章1節~14節

【説 教】齋藤 篤 牧師

【説教要旨】

 神は歴史の初めに、「光あれ」(創世記1:3)という号令とともに、秩序の無い世の中に手を付けられました。光が投げかけられた時に、その言葉は創造という事柄へと世を動かしました。人間が造られるまでの創造の御業は、神の言葉は言葉だけに終わらせないことを明らかにしたのです。
 私たち人間は、言葉を通して世の中に生き、コミュニケーションをとることにより、同じように生かされている人間同士が共存する世界を作り上げています。しかし、私たちの言葉は歴史が前進するための良き道具として用いられてきた一方で、時には人間を裏切り、争いの種を作り、言動が一致しないことに失望や痛みを与えてきたのが「言葉」でした。何とも言えない頼りなさを、言葉は私たちに提供し、それは同時に、私たち自身の頼りなさを示すものに他なりません。
 神の創造の御業は、創造の時だけで終わるものではありませんでした。神の目的は、創造された全てが、神と共存することによって、平和を味わい、それゆえに幸いな世界のなかに生きることでした。神は、その目的を必ず成し遂げるために、新たな光を私たちに投じられました。
 その光とは、「言(ことば)」と名づけられている光です。ことばはこの世の中を照らす役割をもって、この世に来られたと、ヨハネは語ります。ことばが放つ光は、神の目的が明らかになることを示しました。この世界が平和となるために、神がご自分の言葉を行いで示されたのです。それが、「神の言葉であるイエス・キリスト」であって、救い主イエスが私たちの間に、命をもって宿られました。神が与えてくださった、最高のクリスマスプレゼントとは、まさしく、「ことばのプレゼント」に違いありません。
 明治の初め、この語を「言霊(ことだま)」と訳しました。単なる言葉とは違います。霊をともなったことばです。つまり、私たちが心から救い主を理解するためには、聖霊様の力強い助けが無くてはならないことを、私たちに思い起こさせます。創造の際に、神の霊が行き渡ったように、ことばもまた、聖霊様と共に私たちに与えられることによって、それは世の中を照らす光となり、私たち一人ひとりの命を活かす源となります。クリスマスを祝うとは、まさにこの命に基づいていることを、私たちは知り、感謝できるのです。

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