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2015年5月17日 「聖霊さまが私を包む」

2015年5月17日 「聖霊さまが私を包む」

【聖 書】ルカによる福音書1章30~38節

【説 教】齋藤 篤 牧師

【説教要旨】

 どんなに幸福そうに見えたとしても、内実はそうではない、ということは、実は結構あったりするかもしれません。ある調査によると、「人生の節目において、ストレスを感じる機会は何か」という問いに対して、死別や離職、転居などの機会がある一方で、結婚、進学、栄転などの節目においても、大きなストレスを感じることがあるというのです。
 ストレスゆえに感じる不安は、その人の生活に暗い影を落とすきっかけとなります。それが、たとえ信仰者であったとしても、ストレスを放置しておけば、不安が増幅して、神を観る力すら失われてしまうことは、決して珍しいことではないのです。
 天使ガブリエルの突然の来訪を受けた少女マリアは、まさにそのような状況に置かれたと言っても過言ではありませんでした。「おめでとう!」の言葉に、何のことやらと戸惑うマリア、未婚の彼女に赤子が宿ることを告げ知らせられて、それが社会的にどれだけ重いものを抱えなければならないかを感じ、不安を抱くマリア、そして、生まれてくる子どもが、神の子として、王として世界を統治することになる務めを知らされて、どうして自分のような者から?と疑問に駆られるマリアの姿がありました。私たちが思うほど、マリア当人にとっては、不安を抱く出来事の何物でもなかったのです。
 しかし、天使を遣わした神は、マリアの不安を決して見過ごされる方ではありませんでした。「いと高き方の力(聖霊)が、あなたを包む」と、神は約束されました。聖霊さまの力は、超能力的に未婚の女性に赤子を宿すことだけを目的とはしていませんでした。聖霊さまは、不安の中に置かれた者を、真綿で包み込むような愛をもって、不安からの解放を約束したのです。
 私たちは、改めて「聖霊信仰」とは何かということに、思いを巡らすことができるでしょう。それは、聖霊さまが、私たちの人生のあらゆる場面で、私たちを取り囲むように、しかしそれは鎧兜のような強靭な武具のような役割を果たすのと同時に、優しく、温かく、そっと包み込むような存在への信仰なのです。その柔らかさゆえに、解放される経験を、私たちは味わうことができるのです。Veni Sancte Spiritus !! (聖霊よ、来りませ!)

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