2015年9月27日 「『お前は神の子だ』」
2015年9月27日 「『お前は神の子だ』」
【聖 書】ルカによる福音書4章31節~44節
【説 教】齋藤 朗子 牧師
【説教要旨】
イエス・キリストは「霊」の力に満ちて、神の福音宣教を始められました。神よりの救い主としてのイエス様の言葉は、信じる者にとっては、罪やあらゆる縛りからの解放の「御言葉」です。カファルナウムの人々は素朴な信仰をもって、霊に満たされたイエス様の言葉と癒しの業に驚きつつも信頼して、助けを求めました。イエス様はその一人一人に手を置いて、悪霊からも病からも癒されました。ご自分に信頼を寄せる人々の間だったからこそ、イエス様はみ言葉をもって癒しの業をなすことができたとも言えるでしょう。
イエス・キリストは、私たちを支配する罪、やまい、悪霊の支配から人類を贖い出し、解放するためにこの世に来られました。キリストを信じるならば、罪からも病気からも、悪霊の力からも「すでに」贖い出されています。たとえ罪を犯すとしても、キリストを信じて救われたならば、神の目から見て義とされています。同様に、信じた人はもはや「病人」でも「悪霊憑き」でもないのです。
しかし、実際に病気の時、光が見えなくて苦しい状態にある時、私たちは「病気が治らないのは、苦しみが去らないのは、私が罪びとで、赦されていないからだろうか。信仰が足りないのだろうか。行いが足らないのだろうか。それとも、先祖の罪ゆえだろうか。」等々、様々な理由を考えて不安になるかもしれません。しかし、そのような考えは、主イエスへの信仰や、み言葉とみ業への信頼を失わせよう、贖われ救われた喜びを失わせようとする悪魔のささやきです。(ガラ3:13-14、イザヤ53:4-5、ヨハネ9:1-3等)。
神からの「癒し」は本当に起こります。しかし、奇跡を偶像化したり、信仰の度合いを計る物差しにするのは誤りです。反対に、癒しなどないと言うのも誤りです。ただ、信仰者にとって大切なことは、実際の病気や苦しみに捕らわれたり、支配されることなく、キリストの十字架の贖いゆえにそれらから「すでに」解放されていると信じて感謝をささげることです(へブ11:1)。実際に肉体や精神が感じる痛みや苦しみよりも、み言葉のほうが信頼できるものなのではありませんか。私たちは神のもの、神の子とされています。もはや、病や苦しみに縛られたり、コントロールされる必要はないのです。私たちを解放してくださったキリストを信じる信仰がますます増し加えられますように祈りましょう。