私たちは聖書を信じるプロテスタントの教会です。          【教会目標】 キリストの愛が満ち 福音宣教に生きる教会

2016年1月24日 「借金を帳消しに」

2016年1月24日 「借金を帳消しに」

【聖 書】ルカによる福音書7章36~50節

【説 教】齋藤 朗子牧師

【説教要旨】

  私たちの神は、お名前と人格をもち、私たち人間と愛し愛される関係を求められ、御子イエス・キリストを信じた人の罪を赦してくださいます。神への信仰とは、つまるところ、キリストを通して人を救い、大切にしてくださる神の愛に対する全面的な信頼を指すのではないかと私は思います。それゆえに、神の愛は「赦し」と同じであると言えます。
  この神への信仰を、神に愛され罪を赦される経験なしに理解することは、おそらく難しいかもしれません。神について、愛や赦しについて「知っている」というのと、それらを身をもって経験し理解することには雲泥の差がありましょう。
  今日の聖書箇所には、神について「知っている」人と、それを「経験した」人が登場します。知っているだけの人とは、ファリサイ派のシモンとその派の人たちです。そして、経験した人とは、「一人の罪深い女」と呼ばれた女性です。
  イエス様は、心の中でこの「罪深い」女性をさげすんだファリサイ派のシモンとその派の人々に「一人は500デナリオン、もう一人は50デナリオンの借金を、それぞれ帳消しにしてもらった。二人のうちどちらが多くその金貸しを愛するだろうか」と尋ねました。つい金額(=罪)の大小に意識が向いてしまいますが、この問いの核心は「あなたがたは、自分の罪に気付いているか?悔い改めているか?その罪を神に赦していただいたか?赦された喜びゆえに神を愛し、仕えているのか?」という点です。
 イエス様からの問いを受けて、「帳消しにしてもらった額の多い方だと思います」と答えたシモンは、その後どうなっただろうかと想像したくなります。シモンは、ファリサイ派の人としては珍しく名前が福音書に残されています。もしかすると、彼は「知っている」人から「経験した人」へと変えられ、一人の証し人として生き、それゆえに名前が残されたのかもしれない?・・・そんな風に思いたくなります。
 また、イエス様は「罪深い女」と呼ばれる女性に対しては「あなたの罪は赦された。あなたの信仰があなたを救った。安心して行きなさい」と言われました。このお言葉によって、この女性はどれだけなぐさめられ、勇気づけられたことでしょう。イエス様と出会うまでの彼女がどんな人生を歩んできたのかはわかりません。しかしイエス様は、悔い改めた魂に対しては、過去の罪を糾弾することはされません。神は、それまでの全ての罪を帳消しに、つまり「なかったこと」にしてくださるのです。
 私たちも、神に愛され赦された者であるならば、赦された者同士、感謝と喜びを共に分かち合い、共に神を愛し仕える日々を過ごしたいと願います。もしも、神の愛と赦しを心から求めている方がいるならば、どうか心から祈り求めてください。神は必ずや祈りに答えて救いを与えてくださいます。



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