私たちは聖書を信じるプロテスタントの教会です。          【教会目標】 キリストの愛が満ち 福音宣教に生きる教会

2016年12月25日 「平和の君主」

2016年12月25日 「平和の君主」

【聖 書】イザヤ書9章1、5~6節

【説 教】齋藤 篤牧師

【説教要約】
メリークリスマス!

私たちのすべてにキリスト(救い主)というプレゼントが与えられたということがクリスマスの意味として伝えるのが、教会に与えられたクリスマスの務めですが、このクリスマスにもクリスマスの喜びを感じることができない方々に、私たちは目を留めることができるでしょう。愛に飢えた方や、経済的な苦しみを思われる方、紛争の最中で不安を抱える方、病に苦しむ方、テロによって愛する者を亡くした方などなど…。

キリストは平和を携えてこの世にやってくる君主であることを、神のメッセンジャーである旧約の預言者イザヤは人々に証しました。しかし、キリストを信じる人々の間でさえ、長い歴史の中で戦争が絶えることはありませんでした。人々の間には憎しみ合いが依然として存在する現実があるのです。

では、キリストは「平和」に対してどのような考えをお持ちなのでしょうか?余談ですが、第二次世界大戦後に発足した国際連合の本部ビルには、「彼らは剣を打ち直して鋤とし、槍を打ち直して鎌とする。国は国に向かって剣を上げず、もはや戦うことを学ばない。」という文字が刻まれています。イザヤ書2章にある御言葉です。武具はもはや人間の文化の基となる農機具へと変えられていき、そして戦うことを学ばない平和。ここに、聖書の語る平和のモデルが存在するのです。そのモデルによって語られた救い主こそイエスであり、このイエスが携える平和のモデルというものを、私たちはおのおのの心にプレゼントとして与えられたのです。

国連教育科学文化機関(ユネスコ)憲章には、「戦争は人の心の中で生まれるものであるから、人の心の中に平和のとりでを築かなければならない。」というものがあります。イエス・キリストというプレゼントを頂いた私たちが、心に平和のとりでを築くのです。それは、御言葉と聖霊様の導きという材料でしか築くことのできないものなのです。

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