2016年4月24日 「パニックの中で」
2016年4月24日 「パニックの中で」
【聖 書】ルカによる福音書9章28節~36節
【説 教】齋藤 篤牧師
【説教要旨】
パウロはこの時、睡魔に襲われていました。眠くて正常な判断をすることができませんでした。だから、真っ白に輝くイエスの姿を見た時に、気が動転して「自分でも何を言っているのか分からなかった」(33節)と、聖書の言葉は記しています。
ただ、ペトロが自分でも意味不明なことを口にしたのは、睡魔に襲われたからというだけでもなかったようです。ペトロはこの時、まさに「パニック」の状態にあったと言えます。どうしてそう言えるのでしょうか?
この出来事が起こる数日前のことです。イエスは弟子たちに対して「私は何者か」とお尋ねになられました。それに対して一番弟子のペトロは「あなたこそ救い主(メシア)です」と告白します。ペトロのみならず、当時のユダヤ人のイメージする救い主像は、栄華を極めたダビデ王でした。国民の上に立ち君臨する王の姿を、ペトロはイエスに期待したのです。
しかし、それに対するイエスの言葉は、ペトロの期待を打ち壊すものでした。イエスは自分が殺されるという予告をしたのです。多くの人々の憎しみを買い、殺されていくイエスの姿は、ペトロの心中をパニックにさせるものだったのです。
このような状況の中で、イエスの奇跡的な姿をペトロは見たのです。モーセやエリヤとともに「最期」について語ったと聖書に記しています(31節)。しかし、この最期とは物事の終わりではありません。むしろそこから始まる「出発」です。モーセ率いる出エジプトの出来事がそうであったように、出発以後はあれの中をさまよい、時に苦しみ痛む旅路です。主イエスも十字架の苦しみの道を歩みました。しかし、その先には復活という救い、約束の土地を受け継ぐという喜びを神は人々に味わわせて下さいました。
私たちの神は、私たちのパニックのただ中にも立ってくださいます。そして、痛みの中にも栄光を望み見るよう、私たち一人ひとりを支えてくださるのです。