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2016年7月3日 「のにのやまい」

2016年7月3日 「のにのやまい」

【聖 書】ルカによる福音書10章38~42節

【説 教】齋藤 篤牧師

【説教要旨】
のにのやまい。そういう言葉がある訳ではありません。「のに」の病(やまい)です。そういう風に区切ると、私たちはこの言葉の意味を理解できることでしょう。
 主イエスがある村をお訪ねになると、そこには二人の姉妹がいました。マルタとマリアです。マルタはおそらくとても誠実な人物であったでしょう。よく気が利き、まめに働き、もてなすことに精一杯自分自身を費やす人だったのでしょう。主イエスに少しでも喜んでもらいたい一心で、一生懸命働きます。
 一方でもう一人の姉妹のマリアは、自分の願いに正直で、自分のペースを大切にする人物であったようです。主イエスの足元で、彼の話にじっくりと耳を傾けています。
 この二人の姉妹、どちらにも共通していたのは、主イエスを心から愛していたという事でした。しかし、愛し方はそれぞれに違います。このどちらも主イエスの愛し方において、間違っていたわけではありませんでした。どちらもそれぞれに相応しい仕方で、主イエスに接していたのです。
 しかし、ここでマルタの不満が募ります。自分はこんなに主イエスのために、一生懸命働いている「のに」、マリアは少しも動こうとしない、手伝ってくれない。。。そして遂にマルタは、主イエスに苦言を呈してもらうよう、促したのです。これがいわゆる「のにのやまい」なのです。マルタは明らかに良いことをしていました。しかし、いつの間にかにマルタは自分自身の忙しさゆえに今していることの「本質」を見失ってしまったのです。
 主イエスはマルタに諭します。大切なことはただ一つだけである、ということを。それは主イエスとの深い「関係」に生きるということです。マリアは見た目には生産的でなかったかもしれません。しかし、主イエスとの関係に終始一貫していました。私たちは「のにのやまい」の患者になってしまうことがあります。しかしその度に、主は「最も大切なこと」に私たちの目と心が注がれるように、霊をもって促してくださるのです。

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