私たちは聖書を信じるプロテスタントの教会です。          【教会目標】 キリストの愛が満ち 福音宣教に生きる教会

2016年7月31日 「神の言葉を聞く」

2016年7月31日 「神の言葉を聞く」

【聖書】ルカによる福音書11章27~36節

【説教】齋藤 朗子 牧師

【説教要旨】

 先週の聖書箇所では、イエス様が「悪霊の追い出し」をなさいました。癒しや悪霊の追い出しなどのイエス様の御業は、私たちにとっても興味を引く事柄であり、確かに幸せな経験だとわかりますが、イエス様の願いは、目先の出来事に一喜一憂するのではなく、神の言葉を「聞き」「守り」、み言葉の光が照らしだす明るい道を歩むことです。イエス様はご復活後に弟子たちの前に現れたとき「見ないでも信じる者は幸いだ」と言われ、また、イエス様の奇跡を見る前からイエス様を信じた百人隊長は、イエス様より「あなたほどの信仰を見たことがない」との言葉を賜ったように、イエス様は「見なくても信じる信仰」を持って「神の言葉を聞くこと」の重要性を幾度も教えられています。ここでイエス様は、知恵者ソロモンではなく、ソロモンの知恵を遠方から「聞きに来た」南の国の女王と、預言者ヨナの告げる神の言葉を「聞き」そして悔い改めたニネべの人々を挙げて、これらの人たちこそ幸いであると説き、驚くべきことに、これらの人たちは「最後の審判」の時に裁かれる側ではなく、裁く側に立つだろうとまで言われました。このように、神は、神の言葉を聞く人に、この上ない栄誉をお与えになるのです。

 そして今や、神の言葉を伝えたヨナ(イエス様とヨナは『三日三晩』という共通キーワードを持つ)よりも、神からの知恵で語ったソロモンよりも偉大な「神の言葉」そのものであるイエス様がおられます。イエス様によって起きた奇跡も、そのお姿を拝見できたのも過去のことです。しかし私たちは、今、イエス様の言葉を「聞く」「守る」ことによって、人となった神の言葉であるイエス様ご自身に会えるのであり、その方を私たちの内側に迎え入れて共に生きることができるのです。(説教後、ある兄弟が『神の言葉を聞くということは、イエス様とコミュニケーションを取ることですね』とおっしゃいました。まさにその通りなのです!)私たちはこれからも、私たち一人一人を活かし、光に照らされた健全な人生を歩ませてくださるイエス様のみ言葉を、喜びと感謝をもって「聞き」「守り」続けてまいりましょう。

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