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2016年8月14日 「本物との出会い」

2016年8月14日 「本物との出会い」

【聖 書】ヨハネによる福音書9章1~7節

【説 教】田代 孝一スタッフ

【説教要約】

 人は本物と出会ったとき、その人生は大きく変えられていきます。
本日の聖書の中に登場します生まれつき目が見えない男もそのひとりでした。彼はどんな思いで、その人生を送ってきたことでしょうか?自分で働くことさえできず、物乞いをして生きるしか道がありませんでした。きっと、誰も彼のことをまともに相手にする人はいなかったことでしょう。
しかし、そんな時、弟子たちと一緒にそこを通られたイエス様が、その男に目を留められ、この男が生まれつき目が見えないのは、「本人が罪を犯したのでもなく、また、その両親が犯したのでもない。ただ神のみわざが彼の上に現れるためである。」と言われ、地につばきをし、そのつばでどろをつくり、そのどろを盲人の目に塗って、「シロアムの池に行って洗いなさい。」と言われました。男はイエス様が言われた通りにすると、たちまち目が見えるようになりました。
しかし、この事実をどうしても信じることが出来ないユダヤ人たちやパリサイ人たちは、この男と呼んで、「おまえの目を開けてくれたその人を、どう思うか」と質問しました。それに対して、彼は、「預言者だと思います」(預言者とは神にいちばん近い存在の意)とはっきりと答えました。そして彼はさらに続けて、「あなたがたも、あの人の弟子になりたいのですか」と、当時エリート中のエリートであったパリサイ人たちの自尊心を、ずたずたに切り裂く言葉を彼らに投げかけました。当然のことながら、彼らの怒りは頂点に達し、とうとうその男を城の外に追い出してしまいました。城の外に追い出されるということは、村八分にされ生活の基盤をすべて失うことを意味しました。しかし、イエス様の言葉に従って、目が見えるようになったという事実は、彼を強くしたのです。
イエス様は、このことを見計らっておられたかのように、彼の元を訪ねられ、「あなたは、人の子を信じるか」(人の子とはメシアを表す言葉)と言われました。彼は即座に、「主よ、信じます」とイエス様を信じる信仰を告白し、その場で、イエス様を礼拝しました。(礼拝とは、全知全能の方の前に、ただただひれ伏すということです。)彼はついに、神に一番近い存在である預言者ではなく、神そのものと出会ったのです。
本物との出会いは、その人の霊的な目を開かせ、一過性の出会いではなく、生涯にわたって続いていき、その人の人生を根本から変えていくのです。

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