私たちは聖書を信じるプロテスタントの教会です。          【教会目標】 キリストの愛が満ち 福音宣教に生きる教会

2016年8月28日 「楽天ファン」

2016年8月28日 「楽天ファン」

【聖 書】ルカによる福音書12章13~34節

【説 教】齋藤 篤牧師

【説教要約】

金銭をはじめとする財産のいざこざは、昔も今も変わることはありません。主イエスに財産争いの解決を求めた群衆のひとりに、主イエスが答えられたのは財産に対する私たちの「見方」についてでした。

豊作となった作物を納めておくための蔵を建てかえた金持ちを「愚か者」と主イエスは言います。どうして愚か者なのでしょうか。この世の中では資産運用やより効果的な貯蓄を良いものとして推奨しますから、主イエスの「愚か者」という表現に違和感を思うかもしれません。主イエスは、私たちの持つ財産に対する「不安」について、その解決に神の視点を加えようとするのです。

究極的に言えば、私たちは有り余る財産を持っていても、枯渇してしまうぐらいほんの少しの財産であったとしても、抱く不安や心配というものはそう変わることはないのです。財産の大小は私たちの不安の解決には至らないということなのです。

主イエスは群衆に対して、「何を着るか、何を食べるか、何を飲むか、思い悩むな」と告げられました。思い悩むのは、神を知らない異邦人のすることだと断言されます。続いて、思い悩む私たちのことをすべてご存じなのは神であると告げられました。

すべてをご存知である神。これは「髪の毛一本までも数えられる神」に相通じます。見逃してしまうような事細かなことまで、神は私たちに関心を抱き、そして愛してくださる方です。私たちの不安の中に入り込んでくださり、その不安を除いてくださるのは神の目的なのです。

そのような神に支えられる私たちは、だからこそ「神の国を求めなさい」という主イエスの勧めの言葉を聴きます。神の国とは神の持つ価値観です。その価値観は、細かな配慮をもって私たち人間を取り扱う神の思いです。他者に対する深い関心と愛。神の愛で私たちも人々を愛そうと努めるならば、私たちの生活は分かち合われます。他者への深い関心は争いへの抑止力となります。

主の力によって、私たちは「天のなさることに楽しむ」楽天ファンにさせられるのです。

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