2017年1月29日 「天国はどこにある?」
2017年1月29日 「天国はどこにある?」
【聖 書】ルカによる福音書17章11-37節
【説 教】齋藤 朗子 牧師
【説教要約】
イエス様一行がエルサレムへ上る途中、「重い皮膚病」の人々が暮らす村に入られます。そこでは「重い皮膚病」を患い、社会から切り離されたユダヤ人とサマリア人が、助け合いながら生活していました。病気のためイエス様に近づけない彼らは、遠くから声を張り上げて助けを求め、癒されました。
この時、癒されたのは10人でありましたが、神を賛美し、イエス様の足もとで感謝したのは、1人のサマリア人だけでした。このサマリア人は、他の9人とは違い、「病気が治る」だけでなく「神の救い」を経験しました。それは、神の働きを身をもって「知る」経験であり、この神に賛美と感謝で応答することで神と交わる経験でした。この人だけが神との関係を結ぶに至ったから、イエス様はこの人に「あなたの信仰があなたを【救った】」と言われたのです。
イエス様の仰る「神の国」は、神の御業に応答し、神を愛し、共に神を賛美する人々の「間」にあります。イエス様は、神の御業を心から喜んだサマリア人と共に、この時「神の国」にいたのです。
人は、誰もが同じように労働し、休息し、似たような生活を送っているかのように見えますが、このサマリア人のように愛する神との交わりを味わい知る者こそ、「人の子の日」つまり終末の時に救われて、完成した神の国へと招き入れられます。死体に禿鷹が群がるのが当然であるように、終末は「当然」来ます。この時、「愛する者は救われ、愛さぬ者は過ぎ去る」。これが聖書の教えです。ですから、私たちは、その時が来るまで「最も重要な掟ー神と人とを愛することー」を守り、神と人との「交わり」に生きることが求められています。
人間は元来罪深く、自己中心的で愛のない存在ですが、私たちを憐れみ、愛するための助けを与えて下さる主なる神に信頼し、気落ちせずに祈りつつ歩んでまいりましょう。どうか、神との交わりがますます深められますように。そして、一人でも多くの人と共に神の国を味わい喜ぶことができますように。