私たちは聖書を信じるプロテスタントの教会です。          【教会目標】 キリストの愛が満ち 福音宣教に生きる教会

2017年2月12日 「チャレンジ」

2017年2月12日 「チャレンジ」

【聖 書】ルカによる福音書18章18-34節
【説 教】齋藤 篤 牧師

【説教要約】
ある政治家がいました。どうやらこの政治家は金持ちであったようです。全てがそうとは言えないのかもしれませんが、政治家と言えば「この世を良くしよう」という高い理想を掲げて、日々の生活を送る人たちのことを指すでしょう。よい政治を行えば、人々からは良い人と評価されます。それは決して悪いことではありません。その人のやりがいを明らかにすると共に、心の中にある誇りのようなものをくすぐるものかもしれません。

彼はイエス様のそばにやって来ました。何をすれば、永遠の命、つまり天国の命を得ることができるでしょうか。そんなことを尋ねます。善い行ないを積み上げることを生活のモットーとしていた彼ですから、心の中では、自分の日々の善行を主イエスに誉めてほしいと期待していたのかもしれません。

ユダヤ人である政治家の若者は、善悪のバロメーターともいうべき律法の言葉を忠実に守っていました。主イエスにまず最初言われたのは、律法の言葉を守っているかというものでした。自信たっぷりに自分の善行ぶりをアピールするのです。しかし、主イエスは彼のそういう自己認識にくさびを打ちます。

あなたの財産をすべて売り払って、貧しい人に施しなさい。主イエスは彼の弱点というものをよくご存じでした。主イエスはここで、財産をすべて捨てなければ天国に行くことができないという条件を差し出したのではなく、自分の弱点にいかに素直になれるかが、天国に入ることの出来る鍵であることを明らかにされたのです。

その点は主イエスの弟子とて同じでした。ペトロは自分は全てを捨ててきたと豪語します。しかし、それは彼自身の自己認識の欠如でした。完全に捨てるという意味で命を捨てられた主イエスを目の前に逃げたのですから。このように、私たちは自分の弱点の遭遇した時に、逃げるのではなく、チャレンジする思いが与えられるよう、神が私たちの背中を押してくださいます。私たちは、そのような神のアプローチに対して、どのように自分の素直さを示すことができるでしょうか?

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