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2017年2月19日 「憐れみに目を開かれ」

2017年2月19日 「憐れみに目を開かれ」

【聖 書】ルカによる福音書18章35節-19章10節
【説 教】齋藤 朗子 牧師

【説教要約】
物乞いをする盲人。徴税人ザアカイ。二人とも、人々から軽蔑されていた。そして、自力では解決できない心の苦しみを抱えていた。

イエスが自分のそばにいることを知った盲人は、「ダビデの子(メシアの意味)イエスよ、わたしを憐れんでください」と叫んだ。先頭を歩く人々は彼を軽んじた。しかしイエスは彼を捨て置かず、「何をしてほしいのか」と尋ねた。盲人は「主よ、目が見えるようになりたいのです」と答えた。この答えの中に、イエスは彼の人間存在に関わるどうしようもない苦しみを聴かれた。

ザアカイも、この盲人同様に自己解決できない苦しみを抱えて生きていた。彼は「徴税人の頭で金持ち」つまり悪人であった。周囲の人々はザアカイを「彼は軽蔑に値する、あわれな男だ」と評しただろう。しかしイエスはザアカイに目を留め、憐れみ、彼の心に遠慮なしに入り込む。心を開いたザアカイは「急いで」木から降りてきて、喜んでイエスを迎えた。ザアカイは最後まで自分の内側を言葉にはしなかった。しかしイエスは、言葉に出さない心の叫びを聴かれた。

イエスと出会い、呼びかけに「飛び込んだ」二人は、救いと苦しみからの解放を経験した。そして救われた喜びのうちに、それぞれ自分の生き方を決めた。盲人は、十字架へと向かうイエスの後に従うことを決意した。マルコ福音書によれば、彼の名前はバルティマイとある。彼は弟子の一人として名が記憶されたのだ。徴税人ザアカイは貧しい人を助け、正しく生きることを決めた。二人とも、イエスの憐みに心の目が開かれ、神と人との交わりに生きる道をみつけた。

私たちも、何か苦しみからの解放を求めているのならば、この2人のように躊躇せず、私たちをみもとに招かれるイエス・キリストに近づき、その名によって神になんでも祈り求めるべきである。神への信頼を持って祈るならば、神は必ずや憐みを示してくださる。救いを、解放を、与えてくださる。盲人とザアカイの物語は、私たちの物語でもあるのだから。

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