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2017年2月26日 「つまらない言い訳」

2017年2月26日 「つまらない言い訳」

【聖 書】ルカによる福音書19章11節~27節
【説 教】齋藤 篤 牧師

【説教要約】
自分にできることは一体なにか?みんなから嫌われていたザアカイが、主イエスとの出会いによって自分自身が変えられた出来事に続いて、主イエスによって語られたのは、私たち一人ひとりに向けられたものでした。

ある家の主人が王の位をいただくために旅に出る時、10人の家来にそれぞれ1ムナ(今で言う3か月分の収入)を渡して、これで商売をするように命じます。

やがて主人が帰ってきた時、それぞれの家来は商売の成果を主人に告げました。ある者は10ムナの稼ぎ、ある者は5ムナの稼ぎを果たしました。それぞれの家来に、稼ぎに見合った褒美をさずけます。

ここである一人の家来が登場します。1ムナを使って商売をすることなく、布に包んでしまっておいたというのです。ある意味、得をすることもありませんが、損もしないやり方です。しかし、この家来は主人の命令には従わなかったのです。

さて、この家来の態度に主人は怒り、持っていた1ムナを取り上げます。どうしてでしょうか。主人の命令に従わないほうが、お金を損失しないことよりも大切だったからです。ここに、私たちは「主人と家来の関係性」というものを見ることができるのです。

主人と家来。どんな世界でもそうですが、豊かな関係性のあるところには、数字に見える以上の成果があることは私たちは誰でも知っています。そういう意味で言えば、主人が家来に対して「信頼関係」をもってお金を渡して、それを託した。しかし、商売をしなかった家来は、主人の恐ろしさゆえに、自分が商売をしなかったのは主人のせいであると、責任転嫁したのです。ここに、健全な関係性を望むことはできません。

この関係性が、神と私たちとの関係性に直結します。神を信じるということは、神の信頼に答えることです。自分のなし得ることに、誠実に精一杯の気持ちをもって応答することが、私たちに求められているのです。

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