私たちは聖書を信じるプロテスタントの教会です。          【教会目標】 キリストの愛が満ち 福音宣教に生きる教会

2018年5月27日「あの愛をもう一度」

2018年5月27日「あの愛をもう一度」

【聖 書】ガラテヤ人への手紙5章16~25節
【説 教】田代 孝一スタッフ

【説教要約】
 ペンテコステは、聖霊降臨日であり教会が誕生した日でもあります。なぜ聖霊様がこの世に来てくださった日が、教会の誕生の日となったのでしょうか?
イエス様は生前、聖霊について弟子たちに次のように語られました。「しかし、助け主、すなわち、父がわたしの名によってつかわされる聖霊は、あなたがたにすべてのことを教え、またわたしが話しておいたことを、ことごとく思い起させるであろう。」(ヨハネ14:26)と。この「聖霊」は、目に見えないものだけに、さまざまな解釈がなされ、ここから多くの異端とされる教団・教派が生まれてきていることも事実です。それだけにしっかりとした聖書解釈が必要なのです。ここでイエス様が示された「聖霊」は「わたしの名による聖霊」であり、イエス様の名による聖霊でなければ聖霊ではないということです。
 「名は体を表す」といいますが、イエス様の名による聖霊は、イエス様そのものの本質を表しています。それはイエス様が、十字架上で示された「無限の愛とゆるし」です。聖書の中で「愛の章」として知られていますコリント人への手紙第Ⅰの13章2節でパウロが、「たといまた、わたしに預言をする力があり、あらゆる奥義とあらゆる知識とに通じていても、また、山を移すほどの強い信仰があっても、もし愛がなければ、わたしは無に等しい」と記しています。このパウロが、本日の聖書の箇所でガラテヤの諸教会の人々に向かって、強い口調で「わたしは命じる、御霊によって歩きなさい。そうすれば、決して肉の欲を満たすことはない」(5:16)と告げています。なぜパウロはここまで強く命じたのでしょうか。それは、わたしたちがいかに肉の欲が強く、自我の塊のような存在であって、御霊によって歩くしか解決の道はないとパウロ自身が自覚していたからです。そして「その御霊の実は愛である」(5:22)と記しています。それはパウロがダマスコ途上で体験したイエス様の無限の愛とゆるしでした。
 今、多くの教会が高齢化し、地方では閉鎖を余儀なくされている教会も出ています。教会が存亡の危機に立たされているのです。初代教会は、イエス様の愛で満ちあふれ、互いに愛しあい、ゆるしあって生活を共にしていました。そこに多くの人々が魅力を感じて集まり、救いへと導かれていきました。
現代の教会は、初代教会時にはなかった規則や制度や形式といったような、重い鎧(よろい)や兜(かぶと)を脱ぎ棄て、もう一度イエス様がその「無限の愛」によって、わたしたちを極みまで愛しゆるしてくださったように、聖霊様の助けによって、イエス様の愛にいきいきと生かされた本来の教会の姿に戻らなくてはなりません。「あの愛をもう一度」ペンテコステは、まさにその時なのです。

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