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2018年9月9日「ノーモア」

2018年9月9日「ノーモア」

【聖 書】ヨハネによる福音書8章1~11節
【説 教】田代 孝一スタッフ

【説教要約】
 本日の聖書の箇所は、ヨハネによる福音書の中で、最もドラマチックな個所だと言われています。イエス様の教えと数々の奇跡は、たちまち当時の人々の評判となり、多くの人々がイエス様のもとに集まってきました。このことに嫉妬し、何とかしてイエス様を落とし入れようと、そのチャンスを虎視眈々とうかがっていたのが、当時の宗教指導者であった律法学者・パリサイ人でした。
人間的な知恵に優れていた彼らは、イエス様が絶対に言い逃れをすることができない策を練り上げ、姦淫していた女を引っ張ってきて、イエス様の前に立たせ、次のように言いました。「先生、この女は姦淫の場で捕まえられました。モーセは律法の中で、こういう女を石で打ち殺せと命じましたが、あなたはどう思いますか」と。この問いは、実によく練り上げられたものでした。「赦しなさい」と答えれば、律法を破ることになり、彼らに訴える口実を与える結果になります。「モーセの律法に従って処刑しなさい」と答えれば、愛と赦しの人としてのイエス様に対する民衆の信頼が、一気に地に落ちてしまうことになります。「YESorNO」どちらに答えたとしても難しい選択を迫られたのです。
 私たちであれば、きっと追いつめられ顔面蒼白になって、ドギマギしていたことでしょう。しかしイエス様はこの時、何事もなかったかのように「身をかがめて、指で地面に何かを書いておられた」と記されています。彼らがなおも問い続けるので、イエス様はやっと身を起こされ、彼らに対して一言、「あなたがたの中で罪のない者が、まずこの女に石を投げつけるがよい」と答えられました。イエス様は、投げかけられた問いをそのまま彼らに投げ返されたのです。それはまさに起死回生の答えでした。彼らは度肝を抜かれたように、返す言葉もなく年寄りから始めて、ひとりびとりその場から立ち去っていきました。
 姦淫の女と二人になられたイエス様は、その女に向かって「婦人よ。あの人たちは今どこにいますか。あなたを罪に定める者はなかったのですか。」(新改訳)
と、その女に尋ねられました。イエス様はここで「女よ」ではなく、ひとりの人格ある人間として、その女を「婦人よ」と呼ばれたのです。それまでの人生、単なる道具としてしか扱われてこなかった女にとって、イエス様からのこの呼びかけは、イエス様の深い愛を知り人生を大きく変える言葉となりました。人は、真実の愛と出会い体験することによって変わるのです。
イエス様が、この婦人に対して「ノーモア」(二度と罪を犯してはならない)と言われたのは、単なる禁止の言葉ではなく、イエス様の愛と赦しを体験すれば、もう二度と罪を犯さなくなることを意味しました。

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