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2021年1月24日「ゴリアテのつるぎ」

2021年1月24日「ゴリアテのつるぎ」

【聖 書】ヨハネによる福音書16章29~33節
【説 教】田代孝一スタッフ


【説教要約】
 私は毎朝、御言葉と祈りの時を持っています。そこで繰り返し読んでいますのが、榎本保郎牧師が書かれた「旧約聖書1日1章」です。現在、サムエル記(上)の御言葉をいただいていますが、その中で榎本先生が、登場人物のダビデに関して、次のような興味深い文章を書かれています。

内容を要約しますと「かつてダビデが少年であった頃、巨人ゴリアテと戦うために出ていく時、『わたしは万軍の主の名、すなわちイスラエルの神の名によって戦う』と言って出て行き、見事にゴリアテを倒した。しかし、サウル王からいのちを狙われ、追いつめられた時、何の武器も持っていなかったため、祭司アヒメレクに何か武器になる物はないかと尋ねた際、かつて自分が倒した『ゴリアテのつるぎ』があることを知らされ、『それにまさるものはありません。それをわたしにください』と申し出た。巨人ゴリアテを恐れず立ち向かっていったのもダビデ、サウル王を恐れて、かつて自分が倒した『ゴリアテのつるぎ』に頼ったのもダビデ、それと同様に私たちも常に二人の私を持っている。信仰者として神に頼る私とこの世を恐れて物に頼る私である。信仰とは神よりもこの世に頼ろうとする私との戦いである」と。

この文章を読んだ時、まさに私自身の信仰の歩みそのものであることを知らされました。それは自分の中にも、少年ダビデのように、ただ信仰によって様々な問題と対処してきた自分と、この世を恐れこの世の常識や知恵や知識に頼ってきた自分の両方があるからです。榎本先生が書いておられるように、いつも問われるのは、私自身の信仰の姿勢にあることを知らされます

この世の力の象徴である「ゴリアテのつるぎ」は、私たちにとって、時として魅力ある物のように見えます。しかし、少年ダビデが神に対する信仰によって、ゴリアテを倒したように、神の前には無力です。イエス様が「あなたがたは、この世ではなやみがある。しかし、勇気を出しなさい。わたしはすでに世に勝っている」(ヨハネ16章33節)と力強く宣言されておられるように、この世に惑わされ、揺り動かされ、飲み込まれそうになる私たちであっても、すでに、この世に勝利されているイエス様の助けと支えと導きによって、固く信仰に立っていくことが出来るのです。はかなく空しい「ゴリアテのつるぎ」に頼るのではなく、どんな苦しい時もいつも私たちとともにいてくださるイエス様に頼って、この厳しい現実の中をともに力強く生き抜いてまいりましょう。


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