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2022年10月23日「主は公義を愛される」

2022年10月23日「主は公義を愛される」

【聖書】 列王記上3章16~28節
【説教】 鷺谷 義和 神学生

【説教要旨】
 ソロモン王は即位すると夢で主から「何事でも願うがよい」と言われ、「民を正しく裁けるように、聞き分ける心」を求めました。主はこの答えを喜ばれました。今朝の箇所はまさに神の知恵がソロモンに宿っている、と劇的に明らかになり、民が王を畏れ敬う契機となった出来事です。ところで、ソロモンは一体いつ、本当の母親がわかったのでしょうか? 「この子を、あの人にあげてください。殺さないでください!」と彼女が叫んだときでしょうか? 実はソロモンは二人の女の話しを聞いているうちに、判ったのではないかと思います。二人のうち、どちらかが嘘をついているわけですから、そういう視点で二人の発言を注意深く聴いてみると、やはり細部まで詳細に語っている女のほうが本当のことを語っている、と思えてきます。もしかすると、その場にいた家臣たちも判ったかも知れません。しかし判らない人がいます。それはその場にいないイスラエルの民です。当時の王は絶対権力者ですから、訴える者の話しを聞き、王がジャッジすればそれで済むのです。けれどもソロモンはそうしませんでした。剣を持って来させたのです。公義を重んじたからです。公義とはすなわち「誰の目にも明らかに義と認められる」ということです。

「主は何をあなたに求めておられるのか。それは、ただ公義を行い、誠実を愛し、へりくだってあなたの神とともに歩むことではないか。」(ミカ書6:8b 新改訳)

 主は公義を愛されるお方です。神様のご性質を知ることは、私たちが生きてゆく上で、きわめて重要なことです。職場で、家庭で、学校で、あらゆる場で、公義を大切に生きることは、神の御心にかなう生き方であり、誘惑や罠から守られます。 
 父なる神は、何故、独り子なるイエス様を地上に送り、十字架にかけたのでしょうか? どうして、そこまで犠牲を払わねばならなかったのでしょうか? 全能者なのですから、超法規的に人類の罪を赦すこともできたのではないでしょうか? しかし主は、そうはなさいませんでした。公義を愛されるお方だからです。人の罪を、罰することなく帳消しにはできなかった。けれども神は愛ゆえに人を罰することはせず、その罪を御子に負わせ、御子が身代わりに刑罰を受けて下さいました。父と御子が大きな痛みを負われたのです。何とありがたいことでしょう。ただ主に感謝します。


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