牧師室より アーカイブ1
牧師室より
※以下の内容を毎日メールで配信希望者は、教会のメールアドレスまで「牧師室より、配信希望」とご一報ください。
2023年10月17日 火曜日
おはようございます。
マタイによる福音書6:14 もし人の過ちを赦すなら、あなたがたの天の父もあなたがたの過ちをお赦しになる。
神さまはわたしたちの罪をお赦しくださいました。
イエス・キリストの十字架と復活によって、わたしたちの罪はあきらかにされ、しかし、赦されました。
キリストの十字架は、神さまがわたしたちをお赦しくださる痛みであり、キリストの復活は、神さまがわたしたちをお赦しくださる喜びでもあるでしょう。
わたしたちにも、人を赦そうとするとき、まずは、痛みが、しかし、やがて、喜びが起こります。
こうやって、わたしたちは、人を赦そうとすることで、神さまがわたしたちをお赦しくださる痛みと喜びをわかちあうことになります。
わたしたちは、人を赦すことで、神さまがわたしたちを赦してくださった喜びを、さらに深くかみしめるのです。
2023年10月16日 月曜日
おはようございます。
箴言20:3 争いにかかわらないのは立派なことだ。無知な者は皆、争いを引き起こす。
争うことはなぜ無知なのでしょうか。
それは、たとえ、戦争に勝っても、平和が生まれることはないからです。
戦争の結果は、つねに、破壊と荒廃です。
ですから、破壊と荒廃しか生まない戦争をしないことは立派だ、と箴言は言うのでしょう。
箴言の何百年かのち、イエス・キリストは、こう言われました。
マタイによる福音書5:9 平和を実現する人々は、幸いである、その人たちは神の子と呼ばれる。
わたしたちには戦争を止める力がないように思えますが、そうではありません。
神さまがかならず平和を実現してくださるのですから、わたしたちは信じて、祈り続けるのです。
平和の主である神さまを信じて、戦争が終わりますように、平和がきますように、と祈り続けるとき、
わたしたちは、神さまの子どもとして、神さまの平和のお心をわかちいただくのです。
わたしたち皆が、神さまの平和のお心をいただいて、平和を祈れば、戦争は終わり、平和が訪れます。
ですから、わたしたちは、今日も、平和を祈りましょう。
2023年10月15日 主日(日曜日)
おはようございます。
神さまは、かならず、戦争を終わらせ、平和を来たらせてくださいます。
神さまがそうしてくださるからこそ、それが神さまの御心であるからこそ、わたしたちは、戦争の終わりと平和の訪れを、せつに祈り求めましょう。
わたしたちの心と世界が、神さまの平和に満たされることを信じて、静かに深く祈りましょう。
イザヤ書11:7 牛も熊も共に草をはみ、その子らは共に伏し、獅子も牛もひとしく干し草を食らう。11:8 乳飲み子は毒蛇の穴に戯れ、幼子は蝮の巣に手を入れる。11:9 わたしの聖なる山においては、何ものも害を加えず、滅ぼすこともない。水が海を覆っているように、大地は主を知る知識で満たされる。
動物たちも、その子らも、争うことも、たがいにむさぼりあうこともなく、同じ食卓に着きます。
毒蛇が幼子を襲うこともありません。
誰も誰かに害を加えたり、滅ぼしたりすることもありません。
なぜなら、その日、世界に神さまの平安が満ちているからです。
わたしたちは、今日、世界とわたしたちに平和を求める静かで深い切なる祈りで、わたしたちの心を満たしましょう。
2023年10月14日 土曜日
おはようございます。
詩編94:18 「足がよろめく」とわたしが言ったとき、主よ、あなたの慈しみが支えてくれました。94:19 わたしの胸が思い煩いに占められたとき、あなたの慰めが、わたしの魂の楽しみとなりました。
わたしたちが倒れそうなときも、倒れるときも、神さまはわたしたちを支えてくださいます。神さまはまことに慈しみ深いお方です。
わたしたちの胸がつぶれそうなときも、神さまはわたしたちを慰めてくださいます。神さまはまことにわたしたちの喜びです。
祈り:神さま、戦争が終わらず、大切なひとりが、何千人も、何万人も、そのいのちと人生を失っています。
神さま、世界を慈しんでください。
倒れる人びとを支えてください。
叫喚する人びとを、どうぞ、お慰めください。
戦争を止める知恵と勇気を、人類とわたしたちにお与えください。
わたしたちをあなたの平和の霊、平安の霊、シャロームの霊で満たしてください。
そのために、わたしたちを祈らせ続けてください。
イエス・キリストのお名前によってお祈りいたします。
2023年10月13日 金曜日
おはようございます。
ミカ4:3 主は多くの民の争いを裁き、はるか遠くまでも、強い国々を戒められる。彼らは剣を打ち直して鋤(すき)とし、槍(やり)を打ち直して鎌とする。国は国に向かって剣を上げず、もはや戦うことを学ばない。
神さまの御心は、このように、わたしたち人間が戦争をしないことです。
「剣を打ち直して鋤(すき)とし、槍(やり)を打ち直して鎌とする」とは、主がわたしたちに与えてくださった文明は、武器のためではなく、食料をつくる農業のために用いましょう、平和のために用いましょう、ということでしょう。
わたしたちは、外国の戦争、多くのいのちの叫びに心を傷め、戦争がなくなりますようにと祈ります。
わたしたちもの日々の生活でも、隣人に、剣や槍ではなく、むしろ、共感のやわらかなまなざしをそっと向けさせてください、と祈ります。
主は、この祈りを、かならず、お聞きくださいます。
2023年10月12日 木曜日
おはようございます。
わたしたちは、神さま以外のこの世のことがらとどのように接したらよいのでしょうか。
ヨハネの手紙一2:15 世も世にあるものも、愛してはいけません。世を愛する人がいれば、御父への愛はその人の内にありません。2:16 なぜなら、すべて世にあるもの、肉の欲、目の欲、生活のおごりは、御父から出ないで、世から出るからです。
たとえば、わたしたちは、この世界の自然や美しい音楽、美術、文学などを愛してはいけないのでしょうか。
そんなことはありません。
けれども、それらを神さま以上に愛してはなりません。父なる神さまを愛さなくなるくらいに、それらを愛してはならないのです。
言い換えますと、物欲、名誉欲、傲慢によって、この世界のものに執着したり、依存したりすべきではないのです。
この世の美しいものが、神さまを称え、神さまを伝えてくれるのようなものであり、そこには、わたしたちの欲も驕りもなく、ただ神さまの創造してくださった世界で生きる喜びしかないのであれば、それは、神さまからわたしたちへの祝福のひとつでありましょう。
2023年10月11日 水曜日
おはようございます。
わたしたちは神さまの前で、何をしたらよいのでしょうか。
詩編51:11 わたしの罪に御顔を向けず、咎をことごとくぬぐってください。51:12 神よ、わたしの内に清い心を創造し、新しく確かな霊を授けてください。
ひとつは、わたしたちの罪を告白することです。
自分が、弱いこと、人を傷つけているかもしれないこと、神さま以外のものにもっとも頼ろうとしてしまっていることを打ち明けることです。
そして、そこから救い出してください、と祈ることです。
神さまと人を愛する清い心、
神さまに支えられて歩むはっきりとした心、
罪ではなく神さまの霊に満たされた心
を創造してください、
と祈ることです。
2023年10月10日 火曜日
おはようございます。
わたしたちには導いてくれる人が必要です。
人間の指導には、愛情の込められた指導もありますが、押しつけや暴力、暴言を招いてしまうおそれもあります。
けれども、イエスさまのお導きはそうではありません。
マタイによる福音書11:29 わたしは柔和で謙遜な者だから、わたしの軛(くびき)を負い、わたしに学びなさい。そうすれば、あなたがたは安らぎを得られる。11:30 わたしの軛は負いやすく、わたしの荷は軽いからである。
軛(くびき)とは畑を耕す際に馬や牛の首(くび)につける木(き)のことです。
イエスさまの軛を負うということは、イエスさまに導かれ、イエスさまに学ぶということです。
イエスさまのお導きは、柔和(やさしくて穏やか)で謙遜なお導きです。
抑えつけず、下から支えてくださるお導きです。
このイエスさまに学べば、わたしたちは、安らぎ、平安、シャロームを得ます。
いや、イエスさまに導かれることそのものが、平安に満ちているのです。
イエスさまの救いのみ言葉に耳を傾け、イエスさまに親しく祈り、イエスさまをさんびする。
このイエスさまのお導きそのものが、平安で、甘美で、歓喜のときなのです。
2023年10月9日 月曜日
おはようございます。
わたしたちの希望はどこにあるのでしょうか。
神さまこそが、わたしたちの希望です。
ローマの信徒への手紙15:13 希望の源である神が、信仰によって得られるあらゆる喜びと平和とであなたがたを満たし、聖霊の力によって希望に満ちあふれさせてくださるように。
希望は神さまから訪れます。
この神さまがわたしとともにいてくださる、
神さまがわたしを愛してくださる、
神さまがなんとかしてくださる、
と神さまを信頼すれば、
神さまはわたしたちを喜びと平和で満たしてくださいます。
聖霊は力です。
聖霊は、神さまがわたしたちに降り注ぎ、吹き込んでくださる神さまの力です。
聖霊は神さまご自身です。
聖霊は、神さまがともにいてくださる、神さまが愛してくださる、という希望で、わたしたちを満たしてくださいます。
2023年10月8日 主日(日曜日)
おはようございます。
ヤコブの手紙1:17 良い贈り物、完全な賜物はみな、上から、光の源である御父から来るのです。御父には、移り変わりも、天体の動きにつれて生ずる陰もありません。
神さまがわたしたちにくださる最良の贈り物、完全な恵み。
それは、愛です。
愛は、光のように神さまからわたしたちのところに届きます。
愛は光です。
神さまの光は、季節の移り変わりにも、月や星の動きにもさえぎられることなく、まっすぐにわたしたちを照らしてくださいます。
今日も、この日も、神さまは、この最良のものを、わたしたちに贈ってくださいます。
2023年10月7日 土曜日
おはようございます。
人は、苦しみから平安に、どのように導かれるのでしょうか。
詩編4:2 呼び求めるわたしに答えてください/わたしの正しさを認めてくださる神よ。苦難から解き放ってください/憐れんで、祈りを聞いてください。4:3 人の子らよ/いつまでわたしの名誉を辱めにさらすのか/むなしさを愛し、偽りを求めるのか。
詩人は苦難や屈辱の中にいますが、それでも、神さまは自分をわかってくださる、憐れんでくださる、祈りを聞いてくださる、祈りに答えてくださる、苦難から解き放ってくださる、と信頼して、神さまに呼びかけています。
詩編4:9 平和のうちに身を横たえ、わたしは眠ります。主よ、あなただけが、確かに/わたしをここに住まわせてくださるのです。
そして、詩人は、この祈りの中で、神さまとの信頼関係に満たされ、平和、平安に包まれ、くつろぎの眠りにつきます。
神さまこそが、御言葉と祈りを通して、わたしたちを、苦しみから平安へと導き入れてくださるのです。
2023年10月6日 金曜日
おはようございます。
ヘブライ人への手紙11:1 信仰とは、望んでいる事柄を確信し、見えない事実を確認することです。
信仰とは、見える証拠や数学のような論理によって、頭で理解することではありません。
信仰とは、それなしに、心で信頼することです。
頭ではなく、神さまがわたしたちに送ってくださった神さまを感じるアンテナ、つまり、わたしたちの中にある霊によって、神さまという霊なるお方、聖霊を受信することです。信を受けることです。
「わずかでも望みがあれば」という言葉にあるように、望みとは、100%の目に見える証拠、論理的な証明なしに、神さまとわたしたちとの信頼関係において、現在と未来を信頼することです。
11:8 信仰によって、アブラハムは、自分が財産として受け継ぐことになる土地に出て行くように召し出されると、これに服従し、行き先も知らずに出発したのです。11:9 信仰によって、アブラハムは他国に宿るようにして約束の地に住み、同じ約束されたものを共に受け継ぐ者であるイサク、ヤコブと一緒に幕屋に住みました。
今、行き先を知らなくても、わたしたちの人生がこれからどうなるかわからなくても、死後の世界が具体的にはどのようなところなのか目に見えるようには思い描くことができなくても、わたしたちは、かならず、神さまの地に導き入れられます。
神さまがそう約束してくださいます。
2023年10月5日 木曜日
おはようございます。
マタイによる福音書25:34 さあ、わたしの父に祝福された人たち、天地創造の時からお前たちのために用意されている国を受け継ぎなさい。25:35 お前たちは、わたしが飢えていたときに食べさせ、のどが渇いていたときに飲ませ、旅をしていたときに宿を貸し、25:36 裸のときに着せ、病気のときに見舞い、牢にいたときに訪ねてくれたからだ。
空腹の人と食事をわかちあったり、喉が渇いている人と飲み物をわかちあったり、旅人を泊めたりすることは、今よりも昔の方がずっと多かったことでしょう。
今は、友人を家に招待することはあっても、困窮している人に自宅で衣食住を提供することはめったにないのではないでしょうか。
それでも、そのような活動をしている団体をサポートしたり、あるいは、苦しみや痛みを抱えている友の言葉にじっと耳を傾けたりすることは、わたしたちにもできるのではないでしょうか。
そこには、愛があります。そういう場では、神さまがわたしたちに与えてくださった愛がわかちあわれています。
愛があるところに、神さまはおられます。愛がある場は、神さまの国の前倒しなのです。
2023年10月4日 水曜日
おはようございます。
コロサイの信徒への手紙3:12 あなたがたは神に選ばれ、聖なる者とされ、愛されているのですから、憐れみの心、慈愛、謙遜、柔和、寛容を身に着けなさい。3:13 互いに忍び合い、責めるべきことがあっても、赦し合いなさい。主があなたがたを赦してくださったように、あなたがたも同じようにしなさい。
「わたしは、神さまに選ばれ、聖なる者とされるような立派な人間ではありません」と、わたしたちは思うかもしれません。
けれども、神さまに「愛されている」ということだけは、たしかではないでしょうか。なぜなら、わたしたちは立派だからではなく、神さまの子どもだから愛されるからです。
じつは、聖書で「選ばれる」「聖なる者とされる」とあるとき、それは、合格したから、とか、資格があるからとかいうことではなく、これは、ただ神さまがわたしたちを無条件に愛してくださるからなのです。
わたしたちは、条件なしで、ただ、神さまの子どもだから、神さまに愛されています。
だから、わたしたちも他の人を愛するように、奨められているのです。
「憐れみの心、慈愛、謙遜、柔和、寛容を身に着ける」「互いに忍び合い、責めるべきことがあっても、赦し合う」とは、まさに、神さまに愛されているから、わたしたちも互いに愛し合うことなのです。
2023年10月3日 火曜日
おはようございます。
自分を通して神さまのことが少しでも誰かに伝わればよい、とわたしたちは願っていますが、それには、どんなことを心がけたらよいでしょうか。
テトスへの手紙2:2 年老いた男には、節制し、品位を保ち、分別があり、信仰と愛と忍耐の点で健全であるように勧めなさい。2:3 同じように、年老いた女には、聖なる務めを果たす者にふさわしくふるまい、中傷せず、大酒のとりこにならず、善いことを教える者となるように勧めなさい。
それには、わたしたちは、ぜいたくではなく、粗暴でもなく、でたらめでもなく、健全な信仰、愛、忍耐を祈り求めたいと思います。また、人の悪口を言わず、お酒を飲み過ぎず、愛ある言葉を語ることができますようにと祈り続けたいと思います。
2:6‐7 同じように、万事につけ若い男には、思慮深くふるまうように勧めなさい。あなた自身、良い行いの模範となりなさい。教えるときには、清廉で品位を保ち、2:8 非難の余地のない健全な言葉を語りなさい。
わたしたちは、短気にならず思慮深く、笑みを絶やさず、おだやかで相手に届く言葉を語ることができますようにと祈り続けましょう。
2023年10月2日 月曜日
おはようございます。
その時の御言葉がよくわからなかったり、厳しいと感じたりすることがないでしょうか。
しかし、御言葉自身がこう語りかけてくださいます。
テモテへの手紙二4:2 御言葉を宣べ伝えなさい。折が良くても悪くても励みなさい。とがめ、戒め、励ましなさい。忍耐強く、十分に教えるのです。
わたしたちが自分で御言葉を読むということは、自分自身に御言葉を宣べ伝えることでもあります。
それが心地よいときも、苦しいときも、良い結果が出るときも、なかなかそうならないときもあるでしょう。
しかし、どんなときでも、御言葉を読むことに、自分自身に宣べ伝えることに励みましょう。
御言葉から、わたしたちの信仰や生き方がきびしく問われ、深い悔い改めに導かれることもあれば、神さまの驚くべき救いをいただき、喜びと勇気に満たされることもあるでしょう。
いただく御言葉をわたしたち自身に忍耐強く宣べ伝えつづけましょう。
そのとき、イエス・キリストご自身が、わたしたちに悔い改めと恵みあふれる救いの御言葉を伝えてくださいます。
2023年10月1日 主日(日曜日)
おはようございます。
キリストは、空っぽのわたしたちを満たし、弱いわたしたちを強くしてくださいます。
コリントの信徒への手紙12:10 それゆえ、わたしは弱さ、侮辱、窮乏、迫害、そして行き詰まりの状態にあっても、キリストのために満足しています。なぜなら、わたしは弱いときにこそ強いからです。
それは、空っぽのわたしたちをキリストがじょじょに満たしてくださり、弱いわたしたちをじょじょに強くしてくださるだけではありません。
空っぽのわたしたちとキリストがともにいらしてくださる。それだけで、すでに、満足なのです。キリストこそがわたしたちの満足なのです。
弱いわたしたちとキリストがともにいらしてくださる。それだけで、すでに、強いのです。キリストこそがわたしたちの強さです。
目に見えなくても神さまを信じるように、空腹でもキリストの満足を信じ、弱くてもキリストの強さを信じる。キリストご自身がそのように導いてくださいます。
2023年9月30日 土曜日
おはようございます。
神さまがわたしたちを救ってくださることにはいろいろな形があると思いますが、もっともシンプルな救いはどんなことでしょうか。
詩編55:17 わたしは神を呼ぶ。主はわたしを救ってくださる。55:18 夕べも朝も、そして昼も、わたしは悩んでうめく。神はわたしの声を聞いてくださる。
17節と18節は、文の形が似ています。
旧約聖書には、同じ事柄を、少し言い換えて繰り返す表現がよく見られます。
ここもそのような表現だとしますと、17節と18節は同じ事柄を伝えていると考えられます。
「わたしは神を呼ぶ」(17節)。「わたしは悩んでうめく」(18節)。
わたしたちが悩んでうめく。それも、神さまは、わたしたちの神さまへの呼びかけとして聞いてくださいます。
「主はわたしを救ってくださる」(17節)。「神はわたしの声を聞いてくださる」(18節)。
わたしたちが苦しいと呻く。神さまがそれを聞いてくださる。それが、神さまの救いだとこの詩人は言います。
神さまがわたしたちの苦しみを聞いてくださる。これがもっともシンプルな神さまの救いのひとつではないでしょうか。
2023年9月29日 金曜日
おはようございます。
ヤコブの手紙1:19 だれでも、聞くのに早く、話すのに遅く、また怒るのに遅いようにしなさい。1:20 人の怒りは神の義を実現しないからです。
わたしたちは、自分が話すことよりも、相手の言うことに聞くことを大事にしたいと思います。
意識をしないと、わたしたちは自分ひとりで話しがちですが、そこにいる自分以外の人の話す時間を確保することも大切です。
わたしたちは、すぐに怒りがちです。怒りは衝動で、考えや理性よりもせっかちで、それらの抑えを簡単に振り切って、爆発してしまいます。
さらには、わたしたちは、それを、正義の怒りだと正当化してしまうこともあります。
けれども、瞬間湯沸かし器のような怒り、激しい言葉、暴言、暴力は、神さまの義を実現しません。
自分が一方的にまくしたてることも、怒りをぶちまけることも、一瞬だけすっとしたとしても、あとには、苦々しさだけが残り、正義も平和も生まれません。
神さまの義、神さまの平和を実らせるには、言葉の連射や瞬間的な怒りではなく、それを思いとどまらせる深い祈りであり、神さまの御心とその御言葉を思い巡らすことです。
2023年9月28日 木曜日
おはようございます。
マタイによる福音書5:3 心の貧しい人々は、幸いである、天の国はその人たちのものである。5:4 悲しむ人々は、幸いである、その人たちは慰められる。5:5 へりくだった人々は、幸いである、その人たちは地を受け継ぐ。(聖書協会共同訳)
「心の貧しい人々」とは、どんな人々でしょうか。
ふたとおり考えられます。
ひとつは、心が傷付き、苦しんでいる人々のことです。
言い換えれば、「悲しむ人々」のことです。
けれども、神さまはこの人々を慰めてくださる、とイエス・キリストは言われます。
もうひとつは、自分は優れていると傲慢で心を膨らませていない人々のことです。
言い換えれば、「へりくだった人々」のことです。
自分、自分という思いで満腹にならず、神さまや隣人を受け入れる「空いた」スペースを心に持っている人々のことです。
神さまは、この人々を祝福し、神さまご自身によって心を満たしてくださいます。
心の痛みを神さまに慰められ、神さまをお迎えする心の場所を神さまに満たされる人々。
このような「心の貧しい人々」を神さまは愛の世界に迎え入れてくださいます。
2023年9月27日 水曜日
おはようございます。
わたしたちが苦しんでいるとき、神さまはわたしたちにどうしてくださるのでしょうか。
ペトロの手紙一1:3 神は豊かな憐れみにより、わたしたちを新たに生まれさせ、死者の中からのイエス・キリストの復活によって、生き生きとした希望を与え、1:4 また、あなたがたのために天に蓄えられている、朽ちず、汚れず、しぼまない財産を受け継ぐ者としてくださいました。1:5 あなたがたは、終わりの時に現されるように準備されている救いを受けるために、神の力により、信仰によって守られています。
神さまは、キリストの復活によって、苦しむ私たちに「生き生きとした希望を与え」てくださり、朽ちない財産を相続させると約束してくださいます。終わりのとき、神さまの完成のときに、救いを受ける、それまで、神さまの力と信仰が、苦しみの中にあるわたしたちを守ってくださる、と約束してくださいます。
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1:7 あなたがたの信仰は、その試練によって本物と証明され、火で精錬されながらも朽ちるほかない金よりはるかに尊くて、イエス・キリストが現れるときには、称賛と光栄と誉れとをもたらすのです。''
苦しみのトンネルの向こうには、イエス・キリストが待っていてくださり、このトンネルをも、イエス・キリストが一緒にくぐって、通り抜けてくださるのです。
2023年9月26日 火曜日
おはようございます。
ヘブライ人の手紙12:14 すべての人との平和を、また聖なる生活を追い求めなさい。聖なる生活を抜きにして、だれも主を見ることはできません。
平和と聖なる生活において、主は、たしかに、わたしたちとともにいらしてくださることでしょう。
それは、どのような生活でしょうか。
13:1 いつも愛し合いなさい。13:2 旅人をもてなすことを忘れてはいけません。13:3 自分も一緒に捕らわれているつもりで、牢に捕らわれている人たちを思いやり、また、自分も体を持って生きているのですから、虐待されている人たちのことを思いやりなさい。13:4 結婚はすべての人に尊ばれるべきであり、夫婦の関係は汚してはなりません。神は、みだらな者や姦淫する者を裁かれるのです。
これらは、自分自身を愛するように、つまり、相手の立場に立って、相手を愛することであり、わたしたちがそうするとき、そこには、神さまがいらしてくださいます。
13:5 金銭に執着しない生活をし、今持っているもので満足しなさい。神御自身、「わたしは、決してあなたから離れず、決してあなたを置き去りにはしない」と言われました。
お金は大事ですが、わたしたちがお金こそがいちばん大事だとし、お金こそが自分の根本の支えとしてしまうなら、それは、偶像崇拝、つまり、神さまでないものを神さまとしてしまっているのです。
けれども、わたしたちは、お金を神にしなくても、まことの神さまが、わたしたちから決して離れることなく、わたしたちを置き去りにすることなく、ともに、とわにいらしてくださいます。
この神さまこそが、根本の支えであり、まことの神さまです。
この神さまがわたしたちとともに生きてくださる。
これこそが、聖なる生活です。
2023年9月25日 月曜日
おはようございます。
イエス・キリストはどのようなお方でしょうか。
神さまはイエス・キリストを通して何をなさろうとしておられるのでしょうか。
ルカによる福音書4:18 「主の霊がわたしの上におられる。貧しい人に福音を告げ知らせるために、主がわたしに油を注がれたからである。主がわたしを遣わされたのは、捕らわれている人に解放を、目の見えない人に視力の回復を告げ、圧迫されている人を自由にし、4:19 主の恵みの年を告げるためである。」
これは、ナザレの会堂で、イエス・キリストに渡されたイザヤの巻物に書かれていた言葉です。
キリストは神さまの霊に満たされています。
神さまは、苦しんでいる人びとに、苦しんでいるわたしたちに、神さまがともにおられる、神さまが愛してくださる、そのためにキリストがおられる、という幸福な知らせを伝えるために、キリストをお遣わしになりました。
神さまは、あらゆる意味で束縛されている人びと、捕らわれてるわたしたちを、ここから解き放つために、キリストを送ってくださいました。
キリストは、人の闇を照らす、まさに、神さまの光なのです。
2023年9月24日 主日(日曜日)
おはようございます。
詩編27:1主はわたしの光、わたしの救い、わたしは誰を恐れよう。主はわたしの命の砦、わたしは誰の前におののくことがあろう。
わたしたちは、どんな困難も恐れることはありません。神さまがわたしたちの光、救い、命の砦となってくださるからです。
27:4 ひとつのことを主に願い、それだけを求めよう。命のある限り、主の家に宿り、主を仰ぎ望んで喜びを得、その宮で朝を迎えることを。
それゆえに、わたしたちが神さまに願い求めること、なすべきことは、ただひとつです。
それは、神さまの前に進み出て、ひれ伏し、神さまを見上げ、喜びをいただくこと、神さまの前で朝を迎えること、つまり、神さまを礼拝がでますように、ということです。
礼拝において、神さまは、わたしたちを喜びで満たし、光で照らして、命を守り、救ってくださいます。
だから、わたしたちは、もはや、何ものをも恐れなくて良いのです。
今週も、それぞれ、神さまの前で静かに祈り、御言葉をいただき、神さまをたたえ、歩みを始めましょう。
2023年9月23日 土曜日
おはようございます。
信仰を持ち続けるためには、わたしたちはどうしたらよいのでしょうか。
ヘブライ人への手紙3:12 あなたがたのうちに、信仰のない悪い心を抱いて、生ける神から離れてしまう者がないように注意しなさい。3:13 あなたがたのうちだれ一人、罪に惑わされてかたくなにならないように、「今日」という日のうちに、日々励まし合いなさい。3:14 わたしたちは、最初の確信を最後までしっかりと持ち続けるなら、キリストに連なる者となるのです。
憎しみ、妬み、怒りなど「悪い心」は、わたしたちの信仰の邪魔をして、愛、希望、喜びなどの徳を覆い隠してしまい、わたしたちを神さまから離してしまいます。
人間ですから、憎しみや妬みや怒りを持つことは当然ですが、それをすなおに認め、それに支配されないように、心を守りたいと思います。
「悪い心」に完全には支配されないためには、愛や信頼、いたわりのある交わりの中で、支え合うことも大切です。語り合い、聞き合い、理解し合い、祈り合う信仰者の交わりは、わたしたちを「慰められた心」にしてくれます。
あの日、キリストはわたしたちをキリストご自身に導き、わたしたちはその愛に驚きました。それからも、キリストはその驚くべき恵みを絶えずわたしたちに注ぎ続けてくださいます。
わたしたちは、日々、それを感謝していただきつつ、あの日の驚きを持ちつづけましょう。
2023年9月22日 金曜日
おはようございます。
マタイによる福音書10:16 わたしはあなたがたを遣わす。それは、狼の群れに羊を送り込むようなものだ。だから、蛇のように賢く、鳩のように素直になりなさい。
聖書を読むとき、この言葉にはどのような意味があるとか、この手紙はどのような文脈で書かれたとか、そのような知識は助けになりますが、神さまが今のわたしに語りかけてくださる御言葉として素直に読むことがひじょうに大切です。
教会の一年間の運営や会堂建築には、予算や計画を立てることが必要ですが、その上で、あるいは、それを超えて、神さまにすべてをお任せすることがひじょうに大切です。
わたしたちの信仰生活や人生においても、冷静で、客観的で、分析的な判断は助けになりますが、神さまのお導きを素直に信じて、すなおに委ねることがひじょうに大切です。
2023年9月21日 木曜日
おはようございます。
わたしたちは、どうすれば、神さまと出会うことができるのでしょうか。
それは、イエス・キリストを通してです。
ヨハネによる福音書14:6 イエスは言われた。「わたしは道であり、真理であり、命である。わたしを通らなければ、だれも父のもとに行くことができない。14:7 あなたがたがわたしを知っているなら、わたしの父をも知ることになる。今から、あなたがたは父を知る。いや、既に父を見ている。」
キリストは、「神の国は近づいた」「神の国はこのようなものである」「父は悪人にも善人にも太陽を昇らせ、正しい者にも正しくない者にも雨を降らせてくださる」、というように、父なる神さまのことをわたしたちに伝えてくださいます。
それは、神さまについての情報にとどまらず、神さまの愛そのものを、キリストはわたしたちに届けてくださいます。
なぜなら、キリストは、神さまがわたしたちに遣わしてくださった神の子であり、救い主であるからです。
わたしたちは、このキリストという道を通して、神さまと出会うことが許されました。
2023年9月20日 水曜日
おはようございます。
神さまはわたしたちの祈りを聞いてくださるでしょうか。
詩編17:6 あなたを呼び求めます/神よ、わたしに答えてください。わたしに耳を向け、この訴えを聞いてください。17:7 慈しみの御業を示してください。あなたを避けどころとする人を/立ち向かう者から/右の御手をもって救ってください。
はい。神さまはわたしたちの祈りに耳を傾けてくださいます。
わたしたちが苦しむとき、神さまは盾となり守ってくださいます。
17:8 瞳のようにわたしを守り/あなたの翼の陰に隠してください。17:9 あなたに逆らう者がわたしを虐げ/貪欲な敵がわたしを包囲しています。17:10 彼らは自分の肥え太った心のとりことなり/口々に傲慢なことを言います。
わたしたちは、ときに、人から苦しめられます。取り囲まれ、責められます。
しかし、わたしたちは、瞳のように敏感で、雛鳥のように繊細で壊れやすいのです。
けれども、神さまは瞳を守ってくださいます。
雛鳥を翼の陰に隠してくださいます。
2023年9月19日 火曜日
おはようございます。
どんなに苦しい時でも、信仰と救いと霊と神さまの言葉と祈りが、わたしたちを守ってくださいます。
エフェソの信徒への手紙6:16 信仰を盾として取りなさい。それによって、悪い者の放つ火の矢をことごとく消すことができるのです。6:17 また、救いを兜としてかぶり、霊の剣、すなわち神の言葉を取りなさい。6:18 どのような時にも、“霊”に助けられて祈り、願い求め、すべての聖なる者たちのために、絶えず目を覚まして根気よく祈り続けなさい。
ここでは、「信仰」は「救い」や「霊」「神の言葉」と並べて記されています。
つまり、「信仰」も、「救い」「霊」「神の言葉」と同様に、本来神さまに属するもの、神さまからいただくもの、神さまからの恵みなのです。
神さまからの恵みが苦しみの中でわたしたちを支えてくださいます。
神さまは、わたしたちとともに、苦しみと闘ってくださいます。
信仰が盾、救いが兜、そして、御言葉が聖霊の剣になってくださいます。
だから、わたしたちは、苦しみの中で、御言葉をいただくのです。
また、聖霊は、わたしたちを祈りに導いてくださいます。
祈りは、わたしたち、神さまの民を包む天幕です。
2023年9月18日 月曜日
おはようございます。
自分の罪を深く告白する人は、神さまの救いを深く知ります。
テモテへの手紙一1:15 「キリスト・イエスは、罪人を救うために世に来られた」という言葉は真実であり、そのまま受け入れるに値します。わたしは、その罪人の中で最たる者です。
マイナス100を0にするには、プラス100が必要です。
マイナス1000を0にするには、プラス1000が必要です。
自分の罪を100と知る人は、神さまの救いも100であることを知るでしょう。
自分の罪を1000と知る人は、神さまの救いも1000であることを知るでしょう。
自分は、神さまから遠く隔たり、隣人を強く傷つけていると知る人は、
つまり、自分はほんとうにどうしようもない罪人だと知る人は
その自分を赦してくださる神さまの愛は、
考えられないくらいほんとうに大きなものであることをも知るでしょう。
2023年9月17日 主日(日曜日)
おはようございます。
礼拝は、喜びの時です。
神さまがわたしたちを愛してくださる。わたしたちは、これを喜びます。
どうじに、わたしたちが神さまの元に来た。神さまが、これを喜んでくださいます。
フィリピの信徒への手紙4:4 主において常に喜びなさい。重ねて言います。喜びなさい。4:5 あなたがたの広い心がすべての人に知られるようになさい。主はすぐ近くにおられます。
神さまは、「すぐ近く」、つまり、わたしたちと一緒にいらしてくださいます。
これを喜ぶのです。
「わたしたちの広い心」とはどんな心でしょうか。
4:6 どんなことでも、思い煩うのはやめなさい。何事につけ、感謝を込めて祈りと願いをささげ、求めているものを神に打ち明けなさい。
思い煩わず、すべてを感謝しつつ祈りつつ神さまに打ち明ける心、神さまにお委ねする心、神さまに開かれた心。
それが広い心です。礼拝しましょう。賛美しましょう。聖書の言葉を聞きましょう。
祈りましょう。
そうすれば、神さまは、わたしたちの心を広く開いてくださいます。
神さまご自身のお心は、すでに、わたしたちに向かって広く開かれています。
2023年9月16日 土曜日
おはようございます。
信仰は、自分の思いが強いこととは、少し違います。
マルコによる福音書9:23 イエスは言われた。「『できれば』と言うか。信じる者には何でもできる。」9:24 その子の父親はすぐに叫んだ。「信じます。信仰のないわたしをお助けください。」
「信じます」ということは、「わたしには信仰がない」と認めることなのです。
わたしたちは、神さまの助けなしに、自分で信仰を持つことはできません。
ですから、わたしたちが「信じる」ときは、まずは、自分には十分な信仰がない、自分の信仰は弱いということを、神さまの前で告白することが含まれているのです。
そして、「信じる」ことは、自分の信仰は弱いけれども、神さまご自身が強めてくださると信頼することです。
自分の信仰の弱さを認めず、「自分は自分で信じている」という思いが強ければ、神さまの助けを受け入れる余地はありません。
わたしたちは、この父親とともに、「神さま、わたしの信仰はとても弱いです。けれども、わたしはあなたにお委ねします。どうぞ、わたしに信仰を与えてください」と祈り続けましょう。
2023年9月15日 金曜日
おはようございます。
苦しみの夜は、心が深く沈んだままの朝は、神さまの救いの言葉を求めましょう。
詩編119:25 わたしの魂は塵に着いています。御言葉によって、命を得させてください。
119:28 わたしの魂は悲しんで涙を流しています。御言葉のとおり、わたしを立ち直らせてください。
御言葉のとおり、とは、どのようにでしょうか。
18:20 主は、わたしを広い所に導き出し、助けとなり、喜び迎えてくださる。
狭い穴蔵に落ち込んでしまったわたしたちの心を、神さまは広いところへと救いあげてくださり、大喜びで迎えてくださいます。
イエス・キリストのたとえ話では、無一文に落ち込んだ放蕩息子に、父は遠くから駆け寄って、大喜びで、ご自分のゆたかな家に迎え入れました。
わたしたちも、神さまに呼びかけるならば、神さまは、きっと、立ち上がらせてくださいます。
2023年9月14日 木曜日
おはようございます。
ヘブライ人への手紙11:1 信仰とは、望んでいる事柄を確信し、見えない事実を確認することです。
イエス・キリストの放蕩息子のたとえ話では、客観的な裏付けなどないのに、息子が帰って来ると信じて、父親は毎日待ちつづけました。父にとって、息子の帰還は、証拠はなくても、「確信できる望んでいる事柄」であり「見えない事実」だったのです。これが希望です。
「神さまは愛である」(一ヨハネ4:8)。目に見える証拠がなくても、わたしたちは、「神さまは愛である」という聖書の言葉を信じます。苦しみや悲しみ、痛みの中で、神さまの愛を立証するものが見えなくても、わたしたちは、目に見えない神さまの愛を感じ、信頼します。
信仰は、論理や証明を超えた信頼の世界です。
わたしたちは、目に見えない神さまを信頼し、目に見えない明日に希望を抱き、目に見えない神さまの無償の愛を受けています。
この世界には神さまの愛が満ち満ちています。目には見えませんが、目を閉じて、静まり、自分の思いを吐き出し、ゆっくり深く空気を吸い込めば、わたしたちの全身が神さまの愛に包まれていると、きっと信頼できるでしょう。
2023年9月13日 水曜日
おはようございます。
迷っているとき、わたしたちはどのように歩めばよいのでしょうか。
この道は正しいのでしょうか。
詩編37:5 あなたの道を主にまかせよ。信頼せよ、主は計らい 37:6 あなたの正しさを光のように/あなたのための裁きを/真昼の光のように輝かせてくださる。
わたしたちの道は、主にお委ねいたしましょう。
主が導いてくださる、と信頼しましょう。
主がお心を注いでくださり、
この道で良いことを、
この道が主の義によって支えられることを、
光のように
明らかにしてくださいます。
2023年9月12日 火曜日
おはようございます。
神さまは、朝毎に、祈りのたびに、み言葉ごとに、わたしたちを、新しくしてくださいます。
恐れ、怒り、恨み、ねたみ、不満、不信、不安。
これら、古いものを、神さまは、新しくしてくださいます。
エゼキエル書36:26 わたしはお前たちに新しい心を与え、お前たちの中に新しい霊を置く。わたしはお前たちの体から石の心を取り除き、肉の心を与える。
安心、平和、愛、称賛、満足、信頼、平安。
これら、新しいものを、「霊の実」(ガラテヤ5:22)を、神さまは、わたしたちの心に置いてくださいます。
わたしたち自身から出る気分や感情は、あいかわらず、古いままかもしれません。
けれども、その奥の「神殿」(一コリント6:19)には、神さまが置いてくださった新しいものが満ちています。
わたしたちの古いものは古いものしか、気分や感情は気分や感情しか見ることができません。
けれども、神さまがくださった新しいものは新しいものを、霊は霊を見せてくれます。
古いものへの執着に気づき、新しいものへ委ねられるように、静かに深く平安に祈りましょう。
2023年9月11日 月曜日
おはようございます。
わたしたちは、どのようにしたら、神さまを感じる、神さまとつながることができるのでしょうか。
ヨハネの手紙一4:13 神はわたしたちに、御自分の霊を分け与えてくださいました。このことから、わたしたちが神の内にとどまり、神もわたしたちの内にとどまってくださることが分かります。4:15 イエスが神の子であることを公に言い表す人はだれでも、神がその人の内にとどまってくださり、その人も神の内にとどまります。
まず、神さまご自身がご自分の霊、つまり、聖霊をわたしたちに送ってくださいます。
これによって、聖霊なる神さまがわたしたちの内にいてくださり、同時に、わたしたちも神さまの内にいます。つまり、聖霊がわたしたちの内に満ちてくださり、同時に、外からわたしたちを包み込んでくださいます。
聖霊は、イエス・キリストの霊でもあります。
そして、このイエス・キリストは、神の子であり、わたしたちの主、わたしたちの救い主であると、わたしたちが信じ、祈り、受け入れるとき、神さまはわたしたちの心の内にいてくださり、同時に、わたしたちを外から抱きしめてくださいます。
2023年9月10日 主日(日曜日)
おはようございます。
わたしたちは、どうして、神さまを礼拝するのでしょうか。
申命記6:4 聞け、イスラエルよ。我らの神、主は唯一の主である。6:5 あなたは心を尽くし、魂を尽くし、力を尽くして、あなたの神、主を愛しなさい。6:6 今日わたしが命じるこれらの言葉を心に留め、6:7 子供たちに繰り返し教え、家に座っているときも道を歩くときも、寝ているときも起きているときも、これを語り聞かせなさい。6:8 更に、これをしるしとして自分の手に結び、覚えとして額に付け、6:9 あなたの家の戸口の柱にも門にも書き記しなさい。
神さまこそがわたしたちの主(しゅ)だからです。
神さまは、わたしたちを創造し、養い、いつも心を配り、わたしたちのすべてを導いてくださり、わたしたちがすべてをお委ねするお方だからです。
このことを、わたしたちは、つねに思い出しましょう。
子どもたちにも、神さまこそがわたしたちの主であり、わたしたちは、くりかえし神さまの前に戻ってきて、重荷を降ろし、心をお委ねし、苦しい気持ちをお任せし、神さまの愛と力に満ちた息をいただいて、体中に吸い込む生活、人生を伝えましょう。
2023年9月9日 土曜日
おはようございます。
キリスト教や聖書やイエス・キリストの学びには、たしかに、深いものがあります。
そして、まだよくわかっていないから、自分は救われない、と、わたしたちは思ってしまうこともあります。
けれども、そんなことはありません。
マタイ14:35 人々は病人を皆イエスのところに連れて来て、14:36 その服のすそにでも触れさせてほしいと願った。触れた者は皆いやされた。
イエス・キリストのすべてがわからなくても、その服のすそに触れただけの人びとも皆いやされたのです。
救いは、イエス・キリストについての知識ではなく、イエス・キリストのわたしたちへの愛によるものです。
そして、愛は「わかる」ものではなく、「触れる」ものです。
御言葉、神さま、イエス・キリストへのわたしたちの触れ方は、人それぞれです。
それでも、そこにはたしかに救いがあるのです。
わたしはまだよくわからない、救われている気がしない、とわたしたちは悩むことがありますが、じつは、イエス・キリストの方は、わたしたちをよく知っていてくださり、救ってくださるのです。
2023年9月8日 金曜日
おはようございます。
わたしたちの心の内にキリストをお迎えいたしましょう。そして、わたしたちは、キリストの愛に根差し、キリストの愛にしっかりと立ちましょう。しかし、どうすれば、そんなことができるでしょうか。
エフェソの信徒への手紙3:16 どうか、御父が、その豊かな栄光に従い、その霊により、力をもってあなたがたの内なる人を強めて、3:17 信仰によってあなたがたの心の内にキリストを住まわせ、あなたがたを愛に根ざし、愛にしっかりと立つ者としてくださるように。
それは、父なる神さまから送られる聖霊の力が、わたしたちの内なる人、つまり、わたしたちの内なる霊、信仰を強めてくださるからできるのです。
3:18 また、あなたがたがすべての聖なる者たちと共に、キリストの愛の広さ、長さ、高さ、深さがどれほどであるかを理解し、3:19 人の知識をはるかに超えるこの愛を知るようになり、そしてついには、神の満ちあふれる豊かさのすべてにあずかり、それによって満たされるように。
神さまの中にはわたしたちへの愛が満ち溢れていますが、それは、キリストの愛でもあり、聖霊の愛でもあります。
わたしたちは、この愛がわたしたちにも注がれて、わたしたちにも満たされていることに、信仰によって気づき、この神さまの愛、キリストの愛、聖霊の愛に支えられて、今日も神さまと隣人を愛する一日を始めましょう。
2023年9月7日 木曜日
おはようございます。
わたしたちの「願いは叶わない」ように思われることもありますが、「祈り」はたしかに聞かれています。神さまは、わたしたちの「願い」というよりも、「祈り」を聞いてくださいます。
イザヤ書30:18-19 主は恵みを与えようとして、あなたたちを待ち、それゆえ、主は憐れみを与えようとして、立ち上がられる・・・主はあなたの呼ぶ声に答えて、必ず恵みを与えられる。主がそれを聞いて、直ちに答えてくださる。
親は子どもの願いをすべて叶えるわけではありませんが、子どもの思いには耳を傾けます。
同じように、神さまもわたしたちの願いのすべてを叶えるわけではありませんが、わたしたちが神さまの前に立つのを「待ち」、「立ち上がり」、「恵み」と「憐れみ」を与えてくださいます。
わたしたちが「主よ」「神さま」と呼ぶ声を神さまは「聞いて」くださり、「答えて」くださいます。
「願い」は叶わなくても、神さまがわたしたちの祈りを聞いてくださり、与えてくださった「恵み」と「憐れみ」がかならずあります。
振り返ってみれば、これまでも、そうだったことが確認できることでしょう。
2023年9月6日 水曜日
おはようございます。
わたしたちがもっとも願うべきことはどんなことでしょうか。
それはシャロームです。人と人との平和であり、御心と我が心との間の平安です。
イザヤ書26:12 主よ、平和をわたしたちにお授けください。わたしたちのすべての業を、成し遂げてくださるのはあなたです。
わたしたちのすべての業の中で、もっとも祈るべきことは、シャローム、平和、平安です。
シャロームは神さまのなしてくださることですし、神さまからの贈り物ですが、「わたしたちの業」でもあります。
つまり、神さまからいただいたシャロームを土台として、神さまからのシャロームに満たされて、
わたしたちは、神さまとのシャローム、今日出会う人びととのシャロームを育てるのです。
今日もわたしたちのすべての業を神さまがみちびいてくださることを信じて、神さま、そして、隣人の間に、シャロームを深く心がけましょう。
2023年9月5日 火曜日
おはようございます。
わたしたちは神さまとどうやって会うのでしょうか。
聖書の言葉、礼拝、賛美、祈り、黙想、自然、文化・・・
そして、人との出会いを通して、わたしたちは神さまと会います。
ヘブライ人への手紙13:2 旅人をもてなすことを忘れてはいけません。そうすることで、ある人たちは、気づかずに天使たちをもてなしました。
隣人、旅人、もっとも小さな人びとをもてなすことは、イエス・キリストをもてなすことです。
ならば、わたしたちが誰かに大事にされるとき、あたたかくされるとき、愛されるとき、それは、イエス・キリストがわたしたちをもてなしてくださっておられるのではないでしょうか。
神さまは愛ですから、わたしたちの愛の通い合いにおいて神さまと会う道も用意されているのです。
2023年9月4日 月曜日
おはようございます。
イエス・キリストの愛の御心にもっと深く触れるにはどうしたらよいのでしょうか。
ペトロの手紙二1:5 あなたがたは、力を尽くして信仰には徳を、徳には知識を、1:6 知識には自制を、自制には忍耐を、忍耐には信心を、1:7 信心には兄弟愛を、兄弟愛には愛を加えなさい。1:8 これらのものが備わり、ますます豊かになるならば、あなたがたは怠惰で実を結ばない者とはならず、わたしたちの主イエス・キリストを知るようになるでしょう。
まず、信仰です。イエス・キリストが導いてくださると心から信頼し、すべてを委ねることです。
それから、隣人を重んじることです。
それには隣人の痛みを知ろうとすること、心を寄せることです。
自分中心にならない自制も大切です。
それには忍耐が必要です。
忍耐するにはイエス・キリストに心を傾けることです。
同時に、仲間や仲間でない者にも心を配ることです。
わたしたちの心の中心にイエス・キリストをお迎えして、これらのことを日々祈り求め続けるとき、気が付けば、わたしたちはすっかりイエス・キリストの愛の御心の中にいることでしょう。
2023年9月3日 主日(日曜日)
おはようございます。
神さまが新しい週をわたしたちのために創造してくださいました。
今週も、すべてのことを、神さまに祈りつつ、進めましょう。
箴言20:18 計画は助言を得て立てよ、戦争は指揮力を整えて始めよ。
わたしたちの思いには、誤りや傲慢が潜んでいます。
ですから、たとえ、言葉で聞こえなくても、神さまの助けをいただきながら、わたしたちの道を考えましょう。
「戦争」は重たいたとえですが、ひとつだけでなくいくつもの判断、行動の積み重ねが必要なこと、たとえば、受験や就職、教育、建築、治療、教会の宣教などは、自分一人で奏でるのではなく、神さまに指揮者になっていただきましょう。
聖書の御言葉、そして、神さまに聞き神さまに聞いていただく祈りを通して、神さまはわたしたちを助け、指揮してくださいます。
2023年9月2日 土曜日
おはようございます。
わたしたちのこれからの人生、どうなるのでしょうか。
どうなるのかはわかりませんが、なんとかなるということはわかります。
神さまが、かならず、なんとかしてくださいます。
わたしたちは、それにお委ねいたしましょう。
大丈夫だろうか、大丈夫だろうか、という思い煩いは横に置いて、
大丈夫、大丈夫、という、イエス・キリストの平安の声にお委ねいたしましょう。
コリントの信徒への手紙一4:1 人はわたしたちをキリストに仕える者、神の秘められた計画をゆだねられた管理者と考えるべきです。4:2 この場合、管理者に要求されるのは忠実であることです。4:3 わたしにとっては、あなたがたから裁かれようと、人間の法廷で裁かれようと、少しも問題ではありません。わたしは、自分で自分を裁くことすらしません。4:4 ・・・わたしを裁くのは主なのです。
神さまがなんとかしてくださる、このご計画に、わたしたちは忠実になりましょう。それは、お委ねすることです。
わたしたちは人や自分の判断に揺れる必要なありません。神さまが判断してくださいます。
わたしたちのために良い判断をなさり、良い道を備えてくださいます。
2023年9月1日 金曜日
おはようございます。
神さまはわたしたちの祈りを聞いてくださいます。
エレミヤ書29:12 そのとき、あなたたちがわたしを呼び、来てわたしに祈り求めるなら、わたしは聞く。29:13 わたしを尋ね求めるならば見いだし、心を尽くしてわたしを求めるなら、29:14 わたしに出会うであろう、と主は言われる。
神さまは祈りを聞き、わたしたちの将来と希望のために計画を立ててくださいます。
29:11 わたしは、あなたたちのために立てた計画をよく心に留めている、と主は言われる。それは平和の計画であって、災いの計画ではない。将来と希望を与えるものである。
じじつ、それは、2500年前、バビロン捕囚のときに起こりました。
29:10 主はこう言われる。バビロンに七十年の時が満ちたなら、わたしはあなたたちを顧みる。わたしは恵みの約束を果たし、あなたたちをこの地に連れ戻す。
主は、わたしたちの祈りに耳を傾け、わたしたちの平和、平安の計画を立ててくださり、希望を与えてくださり、わたしたちを今の苦しみから救い出してくださいます。
2023年8月31日 木曜日
おはようございます。
わたしたちの性格の短所や欠点は、人生に困難を招くことがあります。
箴言15:18 激しやすい人はいさかいを引き起こし、忍耐深い人は争いを鎮める。
これを乗り越えるにはどうしたらよいのでしょうか。
新約聖書で、パウロは、これらを「肉の業」と呼んでいます。
ガラテヤの信徒への手紙5:19 肉の業は明らかです。それは、姦淫、わいせつ、好色、5:20 偶像礼拝、魔術、敵意、争い、そねみ、怒り、利己心、不和、仲間争い、5:21 ねたみ、泥酔、酒宴、その他このたぐいのものです。
これに対し、パウロは「霊の結ぶ実」も挙げています。
ガラテヤの信徒への手紙5:22 霊の結ぶ実は愛であり、喜び、平和、寛容、親切、善意、誠実、5:23 柔和、節制です。これらを禁じる掟はありません。
目をつぶり、心を静かにして、口を細くしてお腹の中からゆっくりと息を吐きましょう。その際に「肉の業」も外へ吐き出すようにイメージしましょう。
つぎに、ゆっくりと息を吸いましょう。お腹の中に空気をためましょう。その際に「霊の結ぶ実」も吸い込むようにイメージしましょう。
怒りや恨みだけでなく、苦しみも不安もゆっくり吐き出し、つぎに、神さまの愛を吸い込んで体に満たすのを感じるような黙祷を楽しんでみましょう。
2023年8月30日 水曜日
おはようございます。
わたしたちは、倒れたら、もう立ち上がれないのでしょうか。
そうではない、と聖書は教えてくれます。
詩編37:23 主は人の一歩一歩を定め、御旨にかなう道を備えてくださる。37:24 人は倒れても、打ち捨てられるのではない。主がその手をとらえていてくださる。
たとえ、わたしたちが倒れても、主は手を放しません。
そして、起き上がらせてくださいます。
さらには、主は、その愛の御心で、わたしたちに道を備えてくださり、一歩一歩導いてくださいます。
2023年8月29日 火曜日
おはようございます。
神さまがわたしたちの「主」であるとはどういうことでしょうか。
「主」はどういうお方でしょうか。
詩編100:3 知れ、主こそ神であると。主はわたしたちを造られた。わたしたちは主のもの、その民/主に養われる羊の群れ。100:4 感謝の歌をうたって主の門に進み/賛美の歌をうたって主の庭に入れ。感謝をささげ、御名をたたえよ。100:5 主は恵み深く、慈しみはとこしえに/主の真実は代々に及ぶ。
主は、わたしたちを創ってくださいました。日々、創ってくださいます。
わたしたちは、主に所属します。主は、わたしたちの所属先です。
わたしたちは、主の民です。主は、わたしたちの導き手です。
わたしたちは、羊の群れです。主は、羊飼いです。
わたしたちは、主を賛美し、感謝し、御名を称えます。
わたしたちは、門をくぐり、主の庭、主の牧場に入ります。
主の恵みは深く、主の慈しみはとこしえで、主の真実は変わることはありません。
2023年8月28日 月曜日
おはようございます。
詩編46:11(新共同訳)「力を捨てよ、知れ/わたしは神。国々にあがめられ、この地であがめられる。」46:12 万軍の主はわたしたちと共にいます。ヤコブの神はわたしたちの砦の塔。
ここは、
岩波訳では「やめよ、知れ、わたしが神なのだ」、
口語訳では「静まってわたしこそ神であることを知れ」
聖書協会共同訳では「静まれ、私こそが神であると知れ」
となっています。
つまり、わたしたち人間が、自分の力でなんとかしようとしたり、あれこれ思い煩ったり、画策したりするのをやめて、ただ神さまに委ねよ、というのです。
わたしたちはあれこれ思い、あれこれしますが、それらをやめて、ただ静かに、神さまの前に自分を引きわたす、頭の中、心の中さえ引き渡す、染み入る神さまの静けさにお委ねする、それが祈りです。祈りの基です。
そのとき、世界のすべてを治められる神さまが、世界の土台である神さまが、わたしたちとともにいらしてくださることがあきらかになります。
世界の土台である神さまこそが、わたしたちの揺るがぬ土台であり、今日も、わたしたちとともにおられ、しっかりとお支えくださいます。
2023年8月27日 主日(日曜日)
おはようございます。
怒りを抑えられなかったり、それゆえに、人を傷つけたり、神さまを根本の支えにできなかったり、それゆえに、虚しいものに頼ろうとしたり、わたしたちの中では、罪の力が強く働いています。
わたしたちはどうしたらよいのでしょうか。
ローマの信徒への手紙8:1 従って、今や、キリスト・イエスに結ばれている者は、罪に定められることはありません。8:2 キリスト・イエスによって命をもたらす霊の法則が、罪と死との法則からあなたを解放したからです。8:3 肉の弱さのために律法がなしえなかったことを、神はしてくださったのです。つまり、罪を取り除くために御子を罪深い肉と同じ姿でこの世に送り、その肉において罪を罪として処断されたのです。
それには、イエス・キリストから「命をもたらす霊の法則」、つまり、聖霊の力をいただくことです。古代からの信仰告白(ニカイア信条)に「聖霊は父と子から出る」とあるように、聖霊とは、天におられる父なる神さまとイエス・キリストから地上のわたしたちに注がれる愛、力、働き、いつくしみ、はげましのことです。
この愛、力、働きは、父なる神さまやイエス・キリストと同じように「位格(ペルソナ)」です。「位格(ペルソナ)」は、「人格」と似たような意味合いですが、神さまですから、「人格」ではなく「位格」と呼んでいます。
イエス・キリストがわたしたちにもたらしてくださる聖霊のお力が、わたしたちを罪の力から救い出してくださいます。
イエス・キリストは、わたしたちと同じ人間のお姿で地上にお生まれになられましたが、罪の力に負けることなく、むしろ、聖霊のお力によって、罪に打ち克たれました。
わたしたちも、自分の中で働く罪の力の大きさをしっかりと認めながら、どうじに、父なる神さまとイエス・キリストから日々新たに送られる聖霊のお力を、罪の力以上に感じ、これにしたがうように、つねに、意識したいと願います。
聖霊のお力に委ねる祈りが深まれば、聖霊のお力に従う意識も無意識へと深まっていくことでしょう。
2023年8月26日 土曜日
おはようございます。
人生において、わたしたちは、人に苦しめられるときがありますが、そのときでさえ、神さまのお心を学ぶことができます。
詩編119:69 傲慢な者は偽りの薬を塗ろうとしますが/わたしは心を尽くしてあなたの命令を守ります。119:70 彼らの心は脂肪に閉ざされています。わたしはあなたの律法を楽しみとします。119:71 卑しめられたのはわたしのために良いことでした。わたしはあなたの掟を学ぶようになりました。
傲慢な人びとは、自分を崇拝させようとします。
けれども、神さまは、神さまだけがわたしたちの主であり、真に慕い求めるべきお方、その前にひれ伏すべきお方は、神さまだけであることを教えてくださいます。
傲慢な人びとは、また、贅沢なもの、豪華なものへの欲望で心が占められ、お金や財産、地位、能力が最高のものだとわたしたちに思わせようとします。
けれども、神さまは、神さまを愛し、人を殺さず、人を生かし、人とともに生き、人から盗まず、人とわかちあう生き方こそが善なる生き方、人生をゆたかにする生き方だと教えてくださいます。
傲慢な人びとに苦しめられても、それを反面教師として、神さまは神さまの戒めのすばらしい意味を教えてくださることがあります。
2023年8月25日 金曜日
おはようございます。
わたしたちは実が結ばれるのを待ち望みつつ、日々歩んでいます。
実が結ばれることも幸いですが、神さまのその約束を信じつつ、そこへ向かっているこの道のりも、すでに、なんと幸いなことでしょうか。
詩編1:1 いかに幸いなことか/神に逆らう者の計らいに従って歩まず/罪ある者の道にとどまらず/傲慢な者と共に座らず1:2 主の教えを愛し/その教えを昼も夜も口ずさむ人。1:3 その人は流れのほとりに植えられた木。ときが巡り来れば実を結び/葉もしおれることがない。その人のすることはすべて、繁栄をもたらす。
神さまは、時が巡り来れば、その実をかならず結んでくださいます。
たとえ、わたしたちが罪を犯してしまうことがあっても、傲慢に陥ることがあっても、神さまがそれに気づかせて悔い改めさせてくださることにわたしたちが気づき、神さまに立ち帰り、ふたたび神さまを信じて、あの幸いな道のりをもう一度歩むことが許されています。
神さまは繰り返し道を準備してくださいます。
2023年8月24日 木曜日
おはようございます。
わたしたちが生きるための「根本の」支えは何でしょうか。お金でも、財産でも、地位でも、人の誉め言葉でも、成績でも、実績でも、能力でも、才能でもありません。
詩編144:1主をたたえよ、わたしの岩を/わたしの手に闘うすべを/指に戦するすべを教えてくださる方を 144:2 わたしの支え、わたしの砦、砦の塔/わたしの逃れ場、わたしの盾、避けどころ/諸国の民をわたしに服従させてくださる方を。
それは、神さまです。神さまこそ、揺るがぬわたしたちの岩です。
神さまこそが、わたしたちの手に、指に、今日一日を生きる力を注いでくださいます。
神さまこそが、わたしたちの支え、わたしたちの砦(とりで)、
わたしたちの逃れ場、わたしたちの盾、わたしたちの裂けどころです。
神さまこそが、わたしたちの人生のあらゆる課題を乗り越えさせてくださいます。
2023年8月23日 水曜日
おはようございます。
わたしたちの人生には、人との別れがあります。その中には、相手がこちらから去って行ったようなこともあり、それは、はげしい苦痛をもたらします。
けれども、神さまは、わたしたちからけっして離れません。
創世記28:15 見よ、わたしはあなたと共にいる。あなたがどこへ行っても、わたしはあなたを守り、必ずこの土地に連れ帰る。わたしは、あなたに約束したことを果たすまで決して見捨てない。
故郷を出なければならなかったヤコブに、神さまは、四重の約束をしてくださいます。
「どんなことが起こっても、わたしはあなたと共にいます」
「あなたがどこへ行っても、わたしがあなたを守り抜きます」
「少しの間、ここを去ることがあっても、わたしは、かならずあなたをここに連れて帰ります」
「わたしはあなたをけっして見捨てません。この約束をかならず果たします」
これは、ヤコブのみならず、わたしたちの人生に与えられた約束です。
今日一日の旅を始めるわたしたちに、神さまがしてくださる約束です。
今日、どこへ行こうと、何があろうと、神さまがかならずあなたとともにいてくださいます。
2023年8月22日 火曜日
おはようございます。
不安や孤独や悲しみや苦しみで心が乱れるとき、わたしたちはどうしたらよいのでしょうか。
マタイによる福音書8:24 そのとき、湖に激しい嵐が起こり、舟は波にのまれそうになった。イエスは眠っておられた。8:25 弟子たちは近寄って起こし、「主よ、助けてください。おぼれそうです」と言った。8:26 イエスは言われた。「なぜ怖がるのか。信仰の薄い者たちよ。」そして、起き上がって風と湖とをお叱りになると、すっかり凪になった。
わたしたちの人生にも、ときどき、激しい嵐が起こり、わたしたちの心も、右に左に激しく揺れ動きます。
その時は、「主よ、助けてください。わたしの心は嵐に襲われています」と祈りましょう。
そうすれば、その祈りは、聞かれ、イエス・キリストは、わたしたちの心の風と波を静めてくださり、そこには、凪が戻って来ることでしょう。
2023年8月21日 月曜日
おはようございます。
わたしたちは神さまのことを忘れがちですが、いつも神さまのことを覚えているには、どうしたらよいでしょうか。
それは、やはり、神さまの救いの言葉と、わたしたちをうながしてくださる言葉を読み、静かに、深く、親しく、神さまに祈ることでしょう。
コリントの信徒への手紙一16:13 目を覚ましていなさい。信仰に基づいてしっかり立ちなさい。凛々しく強く生きなさい。16:14 何事も愛をもって行いなさい。
そうすれば、意識している時もしていない時も、わたしたちの霊は深いところでいつも神さまとつながっているでしょう。
そうすれば、わたしたちの霊は深いところではいつも神さまに目覚めているでしょう。
神さまへの深い信頼が、大地のように静かに、わたしたちを支えてくれるでしょう。
心の表面は揺れ動いたり弱かったりしても、深いところには、勇気と希望が静かに横たわり、わたしたちを強く生かしてくれるでしょう。
神さまを何よりも大切に思い、隣人を何よりも大事に思う生き方へと導かれることでしょう。
自分はそのような状態から遠いように思えても、そのようになれますようにと静かに祈り続けましょう。
2023年8月20日 主日(日曜日)
おはようございます。
わたしたちは、すでに神さまから無償で愛されていますが、これに感謝して、さらには、わたしたちを愛してくださる神の御心、愛の御心に添う者、つまり、人を無条件で愛する者に近づけますようにと祈ります。
ヨハネの手紙一3:2 愛する者たち、わたしたちは、今既に神の子ですが、自分がどのようになるかは、まだ示されていません。しかし、御子が現れるとき、御子に似た者となるということを知っています。なぜなら、そのとき御子をありのままに見るからです。3:3 御子にこの望みをかけている人は皆、御子が清いように、自分を清めます。
「わたしたちは、今既に神の子です」とは、わたしたちは今既に神さまから愛されている、ということでしょう。
これに対して、「御子に似た者となる」「御子が清いように自分を清める」とは、わたしたちが、イエス・キリストのように、神さまの御心に沿う者となる、ということのように思えます。
そして、神さまの御心に沿うとは、神さまがわたしたちをそのまま愛してくださるように、わたしたちも周りの人、出会う人をそのまま愛する、自分の利害を離れて愛することではないでしょうか。
2023年8月19日 土曜日
おはようございます。
詩編103:2 わたしの魂よ、主をたたえよ。主の御(おん)計(はか)らいを何ひとつ忘れてはならない。
神さまの御計らいとはどのようなものでしょうか。
103:3 主はお前の罪をことごとく赦し/病をすべて癒し、103:4 命を墓から贖い出してくださる。慈しみと憐れみの冠を授け、103:5 長らえる限り良いものに満ち足らせ/鷲のような若さを新たにしてくださる。103:6 主はすべて虐げられている人のために/恵みの御業と裁きを行われる。
神さまはわたしたちの罪を赦し、病を癒し、死から救い、慈しみ、憐み、良いもので満たし、つねに新しく創り変え、苦しんでいる者、苦しめられている者を助けてくださいます。
103:8 主は憐れみ深く、恵みに富み/忍耐強く、慈しみは大きい。103:9 永久に責めることはなく/とこしえに怒り続けられることはない。103:10 主はわたしたちを/罪に応じてあしらわれることなく/わたしたちの悪に従って報いられることもない。
神さまはわたしたちの罪をお赦しくださいます。
これらの御計らいに感謝して、今日も神さまを称えましょう。
2023年8月18日 金曜日
おはようございます。
ヨハネの手紙一2:10 兄弟を愛する人は、いつも光の中におり、その人にはつまずきがありません。2:11 しかし、兄弟を憎む者は闇の中におり、闇の中を歩み、自分がどこへ行くかを知りません。
わたしたちは人に傷つけられれば苦しくなりますので、仕返しをしたくなってしまいます。けれども、それを攻撃的な行動や言葉にして相手に向けてしまえば、わたしたちは闇に陥ってしまいます。
1:8 自分に罪がないと言うなら、自らを欺いており、真理はわたしたちの内にありません。
わたしたちは闇の入り口に立ってしまっている、という告白へと神さまは愛によって導いてくださいます。
1:9 自分の罪を公に言い表すなら、神は真実で正しい方ですから、罪を赦し、あらゆる不義からわたしたちを清めてくださいます。
闇に近いところに立っていることを、神さまの愛に導かれて、わたしたちが告白すれば、つぎに、神さまはわたしたちをお赦しくださり、闇から光へと立ち帰られせてくださいます。
わたしたちが人を憎んでも、このように光へと連れ戻してくださる神さまの手に、気づきましょう。
2023年8月17日 木曜日
おはようございます。
心がつぶれそうなとき、張り裂けそうなとき、わたしたちはどうしたらよいのでしょうか。
詩編143:4 わたしの霊はなえ果て、心は胸の中で挫けます。143:5 わたしはいにしえの日々を思い起こし、あなたのなさったことをひとつひとつ思い返し、御手の業を思いめぐらします。143:6 あなたに向かって両手を広げ、渇いた大地のようなわたしの魂を、あなたに向けます。
そのときは、神さまがわたしたちにくださった恵みを思い起こしましょう。そうやって、弱った心を神さまに向けましょう。
143:7 主よ、早く答えてください、わたしの霊は絶え入りそうです。御顔をわたしに隠さないでください。わたしはさながら墓穴に下る者です。143:8 朝にはどうか、聞かせてください、あなたの慈しみについて。あなたにわたしは依り頼みます。行くべき道を教えてください、あなたに、わたしの魂は憧れているのです。
神さまに憧れましょう。ぐるぐるまわるばかりの魂を、ただ神さまへと、ひたすら神さまへと傾けましょう。
目を閉じて、静まるのです。その静けさに、心を傾け、その静けさに、じっと包まれましょう。
2023年8月16日 水曜日
おはようございます。
インマヌエル。神さまはどんなときでもわたしたちとともにいてくださいます。
アガペー。神さまはわたしたちがどんな罪人であっても愛してくださいます。
シャローム。神さまはわたしたちに平和と平安を必ずもたらしてくださいます。
この三つに関わること、すなわち、神さまの救いに関わることであれば、神さまは必ず実現してくださいます。
イザヤ46:10 わたしは初めから既に、先のことを告げ、まだ成らないことを、既に昔から約束しておいた。わたしの計画は必ず成り、わたしは望むことをすべて実行する。
神さまは、世界と時間を創造してくださったその初めから、救いを宣言してくださり、太古の昔から救いを約束してくださいました。
神さまの救いのご計画はかならず果たされます。
神さまはわたしたちが救われることを強く望んでくださり、それをすべて実行してくださいます。
神さまがわたしたちとともにおられること、無条件に愛してくださること、シャロームで満たしてくださることに、わたしたちが今気づき、今それを深く吸い込めば、インマヌエル、アガペー、シャロームは、今日実現するのです。
2023年8月15日 火曜日
おはようございます。
わたしたちは、「いつか」救われるのでしょうか。
いや、それだけでなく、イエス・キリストによって、「すでに」救いの中に招かれているのではないでしょうか。
ヨハネの黙示録21:3 見よ、神の幕屋が人の間にあって、神が人と共に住み、人は神の民となる。神は自ら人と共にいて、その神となり、21:4 彼らの目の涙をことごとくぬぐい取ってくださる。もはや死はなく、もはや悲しみも嘆きも労苦もない。最初のものは過ぎ去ったからである。
神の子イエス・キリストはわたしたち人間の間に生まれ、そこに住まわれました。わたしたちは、キリストの民としていただきました。
キリストはわたしたちとともにいてくださり、わたしたちの救い主となってくださいました。
キリストは、わたしたちの涙をことごとくぬぐい取ってくださいます。
キリストは、死を乗り越え、復活を約束してくださいました。
悲しみや嘆きや労苦はつづきますが、キリストがともにおられ、それにまさる喜びと平安を与えてくださいます。
父と子と聖霊によって、わたしたちは、すでに新しくされています。
2023年8月14日 月曜日
おはようございます。
わたしたちは、自分以外の人にどのように接したらよいのでしょうか。
つぎの聖書の言葉は「長老」に向けられていますが、すべての人の人間関係にもあてはまります。
ペトロの手紙一5:2 あなたがたにゆだねられている、神の羊の群れを牧しなさい。強制されてではなく、神に従って、自ら進んで世話をしなさい。卑しい利得のためにではなく献身的にしなさい。5:3 ゆだねられている人々に対して、権威を振り回してもいけません。むしろ、群れの模範になりなさい。5:4 そうすれば、大牧者がお見えになるとき、あなたがたはしぼむことのない栄冠を受けることになります。
わたしたちは、羊飼いが羊を大切にするように、出会う人を大切にしたいと思います。
誰かを大事にするのは、強制されたり、自分が得したりするためではなく、神さまに感謝して、神さまに促されてのことです。
わたしたちは、人に対して、威張ってはなりません。抑えつけてもなりません。
むしろ、謙虚な姿勢を、しずかに示したいと思います。
イエス・キリストこそが、まことの羊飼いであり、神さまとわたしたちに仕えてくださいました。
2023年8月13日 主日(日曜日)
おはようございます。
テモテへの手紙一6:15 神は、祝福に満ちた唯一の主権者、王の王、主の主、6:16 唯一の不死の存在、近寄り難い光の中に住まわれる方、だれ一人見たことがなく、見ることのできない方です。この神に誉れと永遠の支配がありますように、アーメン。6:17 高慢にならず、不確かな富に望みを置くのではなく、わたしたちにすべてのものを豊かに与えて楽しませてくださる神に望みを置くように。
神さまは、わたしたちと世界を治めてくださる、ただひとりのまことの主権者です。武力や権力ではなく、祝福によってわたしたちを治めてくださいます。神さまこそがまことの王、唯一の王、まことの主、唯一の主です。
けれども、神さまはわたしたちの目には見えません。目には見えませんが、たしかに、わたしたちとともにいてくださいます。
わたしたちのまことの支え、根本の支えは、お金でも、地位でも、人間関係でも、力でも、知識でもなく、ただ、神さまです。
わたしたちが希望を持つことができるのは、お金や力があるからではなく、神さまがわたしたちといつも変わることなくともにいらしてくださるからです。
2023年8月12日 土曜日
おはようございます。
わたしたちは今生きていますが、このいのちは、わたしたちが創ったものではありません。
わたしたちが生きている世界、自然、大切な人びと、言語、文化、教会なども、わたしたちが創ったものではありません。
すべて、神さまが創ってくださり、わたしたちに用意してくださったものです。
申命記6:10 あなたの神、主が先祖アブラハム、イサク、ヤコブに対して、あなたに与えると誓われた土地にあなたを導き入れ、あなたが自ら建てたのではない、大きな美しい町々、6:11 自ら満たしたのではない、あらゆる財産で満ちた家、自ら掘ったのではない貯水池、自ら植えたのではないぶどう畑とオリーブ畑を得、食べて満足するとき、6:12 あなたをエジプトの国、奴隷の家から導き出された主を決して忘れないよう注意しなさい。
神さまがすべてを備えてくださいました。
わたしたちはそれを使うことが許されています。
このことを、あらためて感謝しながら、今日一日も、主が創ってくださったいのちに生かされましょう。
2023年8月11日 金曜日
おはようございます。
たとえ、今、どんなに大きな苦しみを抱えていても、それは永久のものではありません。
苦しみは、やがて、喜びに変わります。
イザヤ書65:16 この地で祝福される人は、真実の神によって祝福され、この地で誓う人は真実の神によって誓う。初めからの苦しみは忘れられる。わたしの目から隠されるからである。65:17 見よ、わたしは新しい天と新しい地を創造する。初めからのことを思い起こす者はない。それはだれの心にも上ることはない。
これまでの苦しみ、今の苦しみは、やがて、誠(まこと)の神さまによって、祝福に変わります。
神さまは、わたしたちのこれまでの苦しみ、今の苦しみを永続させるのではなく、今とは違う、まったくあたらしいものを創造してくださいます。
それが神さまの祝福です。
そのとき、苦しみは喜びにとってかわられ、苦しみは忘れ去られ、もはや思い出されることもありません。
ただ喜びだけが、わたしたちの世界と心に満ち溢れる、その日がまもなくやってきます。
2023年8月10日 木曜日
おはようございます。
わたしたちは、くよくよするな、と言われても、くよくよしますし、もう忘れようと思っても、忘れられずに苦しんでしまうことがあります。
マタイによる福音書6:25 自分の命のことで何を食べようか何を飲もうかと、また自分の体のことで何を着ようかと思い悩むな。命は食べ物よりも大切であり、体は衣服よりも大切ではないか。6:26 空の鳥をよく見なさい。種も蒔かず、刈り入れもせず、倉に納めもしない。だが、あなたがたの天の父は鳥を養ってくださる・・・6:27 あなたがたのうちだれが、思い悩んだからといって、寿命をわずかでも延ばすことができようか。
どうすれば、わたしたちは自分の気分を良くすることができるのか、と思い悩むことは止めましょう。心は気分より大切であり、心の奥の霊・・・神さまとのつながり・・・はもっと大切ではありませんか。
空の鳥は「どうしよう」とあたふたすることなく、苦しい時はただ苦しいままですが、神さまが養ってくださいます。
同じように、わたしたちがあれこれしなくても、神さまはわたしたちの心と霊を守ってくださいます。
わたしたちは思い悩んでも気分は簡単には変わらないかもしれません。
気分は気分として受け入れて、けれども、心と霊は、神さまが平安で満たしてくださる、これに委ねます。
2023年8月9日 水曜日
おはようございます。
わたしたちの心は、これを思い煩い、あれを心配し、まさに、さわがしい銅鑼(どら)、やかましいシンバルです。
けれども、ダビデは、しずかに歌います。
詩編62:6 わたしの魂よ、沈黙して、ただ神に向かえ。神にのみ、わたしは希望をおいている。62:7 神はわたしの岩、わたしの救い、砦の塔。わたしは動揺しない。
静まれ。わが心よ。神さまの静寂に溶け入れ。世界の空気にしみ入る神さまの静かさに全身を浸らせよ。
あらゆる策は尽きた。しかし、最後に希望が残った。神さまが残った。
わたしは揺れる。しかし、神さまは岩。神さまにしがみつけば、わが動揺もやがてぴたりと止む。
62:8 わたしの救いと栄えは神にかかっている。力と頼み、避けどころとする岩は神のもとにある。62:9 民よ、どのような時にも神に信頼し、御前に心を注ぎ出せ。神はわたしたちの避けどころ。
たとえ今日は心の嵐が襲おうとも、わが心をただ神さまに注ぎ込む。
わが心を静かに静かに神さまに注ぎ込む。
神さまは灼熱から今日わたしを守ってくださるオアシス。
2023年8月8日 火曜日
おはようございます。
神さまとともにいることの喜びを、わたしたちは精一杯の言葉、美しい言葉、心に届く心からの言葉で伝えよう、何とか伝えよう、と努めます。これは、本当に大事なことです。
けれども、同時に、この喜びは言葉で言い尽くせないものでもあります。わたしたちは、賛美、証し、説教において、言葉で言い尽くせないとわきまえつつも、言葉で表現する恵みをいただいています。
ペトロの手紙一1:8 あなたがたは、キリストを見たことがないのに愛し、今見なくても信じており、言葉では言い尽くせないすばらしい喜びに満ちあふれています。1:9 それは、あなたがたが信仰の実りとして魂の救いを受けているからです。
ですから、キリストがわたしを愛してくださる喜びは、言葉でうまく言えないことがあっても、それはそれでよいのです。
もっと言えば、神さまからの喜びが、感情的、心情的には、あらわれない日があっても、それはそれでよいのです。
神さまは目に見えないお方です。わたしたちの感覚(視覚、聴覚、嗅覚、触覚、味覚、知的感覚、心理的感覚、第六感など)ではそのすべてをとらえることはできません。
けれども、神さまの方では、わたしたちのすべてをとらえていてくださいます。
わたしたちがわたしたちの感覚では神さまをとらえられない日でさえ、神さまはわたしたちのすべてをとらえていてくださいます。
2023年8月7日 月曜日
おはようございます。
自分の利益、欲望だけを満たそうとすれば、わたしたちは、神さまや隣人の命(ライフ)とのつながりを失ってしまいます。わたしたちの命は孤立します。これはある意味すでに滅びでもあるでしょう。
はんたいに、神さまや隣人をつねに想う霊の働きを一番大事にすれば、わたしたちは神さまと隣人との霊のネットワークの中で生かされます。
ガラテヤの信徒への手紙6:8 自分の肉に蒔く者は、肉から滅びを刈り取り、霊に蒔く者は、霊から永遠の命を刈り取ります。6:9 たゆまず善を行いましょう。飽きずに励んでいれば、時が来て、実を刈り取ることになります。6:10 ですから、今、時のある間に、すべての人に対して、特に信仰によって家族になった人々に対して、善を行いましょう。
ここでパウロは「霊に蒔く」「善を行う」と言っていますが、これは同じことのふたつの面ではないでしょうか。
聖書全体では、「隣人を愛する」ことは「神さまを愛すること」であると繰り返し語られていますが、「善を行う」は「隣人を愛する」ことに、「霊に蒔く」は「神さまを愛する」ことに重なるのではないでしょうか。
けれども、「隣人を愛する」ことも「霊に蒔く」ことであり、「神さまを愛する」ことも「善を行う」ことでもあるでしょう
2023年8月6日 主日(日曜日)
おはようございます。
詩編40:6 わたしの神、主よ、あなたは多くの不思議な業を成し遂げられます。あなたに並ぶものはありません。わたしたちに対する数知れない御計らいを、わたしは語り伝えて行きます。
神さまは、わたしたち、わたしたちとともに生きる人びと、わたしたちが生きる世界を創造してくださいました。そして、わたしたちの人生の旅を、町から町へと、村から村へと、駅から駅へと、港から港へと、風景から風景へと導いてくださいました。
その間、神さまはつねにわたしたちと一緒にいてくださいました。わたしたちが地上の旅を終え、天を旅する時も、神さまはともにいらしてくださいます。
神さまは、この不思議な業を成し遂げてくださいます。あなた以外にはそれはできません。ただあなただけがそうしてくださいます。
神さまがわたしたちになしてくださるこのすばらしい御心を、聖書は語り伝えてきました。
神さまご自身が聖書によって語りかけてくださいます。
わたしたちも、わたしたちを救ってくださった驚くべき神さまを、語り伝えていきます。
神さまが、わたしたちを語り部にしてくださいます。
2023年8月5日 土曜日
おはようございます。
どんなに強い相手を打ち負かすことができても、どんなに多くの人から称賛されようとも、わたしたちは、自分自身を誇りません。
能力や才能は、たまたま神さまから与えられたものですから、感謝しつつ、他の人びととわかちあいます。
努力は、自分のもののように思えますが、それも神さまからの贈り物です。
ルカによる福音書10:17 七十二人は喜んで帰って来て、こう言った。「主よ、お名前を使うと、悪霊さえもわたしたちに屈服します。」・・・10:20 しかし、悪霊があなたがたに服従するからといって、喜んではならない。むしろ、あなたがたの名が天に書き記されていることを喜びなさい。」
わたしたちの名前は、天の国、神さまの国に記されています。
わたしたちは神さまの家の子ども、神さまの国の住民です。
そして、それは、わたしたちひとりひとりに、しかも、すべての人へのプレゼントです。
わたしたちは、力があることよりも、愛されていることを喜びましょう。
力ではなく、愛こそが喜びなのです。
自分に力があることではなく、神さまに愛されていることこそが、最高の喜びです。
2023年8月4日 金曜日
おはようございます。
わたしたちの生活、人生、命はどうすればゆたかになるのでしょうか。
ライフ life という英語は、文脈によって、生活とも人生とも命とも訳すことができます。
ヨハネによる福音書10:9 わたしは門である。わたしを通って入る者は救われる。その人は、門を出入りして牧草を見つける。10:10 わたしが来たのは、羊が命を受けるため、しかも豊かに受けるためである。10:11 わたしは良い羊飼いである。良い羊飼いは羊のために命を捨てる。
イエス・キリストこそが、わたしたちにゆたかなライフ(生活、人生、命)をくださいます。
キリストを通し、わたしたちは神さまと出会います。
神さまに導かれて生きるとき、わたしたちの生きる世界は緑の広大な牧草地になります。
キリストご自身もゆたかな命をもっておられますが、それをご自分のためにではなく、わたしたちのために使ってくださいます。
このキリストに従って、わたしたちもライフを独占せず、だれかとわかちあうとき、それは、ますますゆたかになるのです。
2023年8月3日 木曜日
おはようございます。
神さまの恵みと慈しみは、わたしたちが追い求めるものではありません。
その反対です。
詩編23:6 命のある限り、恵みと慈しみはいつもわたしを追う。わたしは主の家に住もう。日の続くかぎり。
神さまの恵みと慈しみの方から、わたしたちを追いかけてきてくださるのです。
たとえ、わたしたちが、逃れよう、逃れようとしても、神さまの家の方から、わたしたちを追いかけてきてくださるのです。
ですから、わたしたちは、とこしえに神さまの家に住み続けます。
地上においても。地上の旅を終えた後も。
イエス・キリストはそのことを良く知っておられたのでしょう。
だから、12歳の時、イエスが迷子になったと心配して探した両親に、「どうしてわたしを捜したのですか。わたしが自分の父の家にいるのは当たり前だということを、知らなかったのですか」と答えたのでしょう。
わたしたちが今日生きる世界、社会には、不安や苦しみなどマイナスの要素も少なくありませんが、「ここも神の御国なれば」と歌われているように、神さまのお守り、平安、導きを信じて、今日もともに歩みましょう。
2023年8月2日 水曜日
おはようございます。
今日も神さまに感謝の祈りをささげることから始めましょう。
詩編107:1 恵み深い主に感謝せよ、慈しみはとこしえに
なぜ、感謝するのでしょうか。神さまの恵み深さ、慈しみとはどういうことを指すのでしょうか。
107:4 彼らは、荒れ野で迷い、砂漠で人の住む町への道を見失った。107:5 飢え、渇き、魂は衰え果てた。107:6 苦難の中から主に助けを求めて叫ぶと、主は彼らを苦しみから救ってくださった。
人生の荒れ野や砂漠でどうしてよいかわからなくなる苦しみ、心が飢え渇き衰え果てていく苦難。
その中から、「神さま、助けてください」と祈り続けると、神さまは救ってくださいました。
これが神さまの恵みであり、慈しみです。
神さまは切なる祈りを聞いてくださいます。
このことを思い出して感謝の祈りをささげることから、今日一日の歩みを始めましょう。
2023年8月1日 火曜日
おはようございます。
たとえ今日は悲しんでいても、明日はかならず神さまが喜びに変えてくださいます。
たとえ今は苦しくても、やがて神さまが安らぎをもたらしてくださいます。
イザヤ書51:3 主はシオンを慰め、そのすべての廃虚を慰め、荒れ野をエデンの園とし、荒れ地を主の園とされる。そこには喜びと楽しみ、感謝の歌声が響く。
ユダヤの都エルサレムのシオンの丘、そこにある神殿は、イエス・キリストより600年前、バビロニア帝国によりすっかり破壊され、廃墟となり、荒れ野となってしまいました。
けれども、その何十年か後、そこに神殿の再建が始まったのです。そこには、神さまへの感謝と喜びの声が満ち溢れました。
わたしたちの人生も、わたしたちの心も、ときに、廃墟のように、荒れ野のようになってしまうことがあります。
けれども、神さまは、かならず、そこを、エデンの園、神さまの楽園に創り変えてくださいます。
いや、神さまがともにおられるのなら、ここは今日、すでにパラダイスなのです。
2023年7月31日 月曜日
おはようございます。
相手が自分を苦しめたなら、わたしたちも相手を苦しめてよいのでしょうか。
相手が自分にひどいことをしたなら、わたしたちも相手にひどいことをしてよいのでしょうか。
それでは、相手がわたしたちに犯したのと同じ罪を犯しているのではないでしょうか。
ペトロの手紙一2:20 罪を犯して打ちたたかれ、それを耐え忍んでも、何の誉れになるでしょう。しかし、善を行って苦しみを受け、それを耐え忍ぶなら、これこそ神の御心に適うことです。2:21 あなたがたが召されたのはこのためです。というのは、キリストもあなたがたのために苦しみを受け、その足跡に続くようにと、模範を残されたからです。
わたしたちが人から打ちたたかれたとき、相手を同じように打ち返すことで、その苦痛を耐え忍んだとして、何の意味があるでしょうか。
しかし、相手にやりかえさないで、それを乗り越えたのなら、それは神さまの御心に適うことです。
わたしたちは、復讐をしない生き方、やり返さない生き方、暴力暴言には愛で応じる生き方へと招かれたのです。
というのは、キリストは、わたしたちの罪のゆえに、そして、わたしたちとともに、苦しみを受けられましたが、「ののしられてもののしり返さず、苦しめられても人を脅さず、正しくお裁きになる方にお任せになり」(2:23)、このキリストの足跡に続くように、わたしたちの模範となってくださったからです。
2023年7月30日 主日(日曜日)
おはようございます。
わたしは、ひとりぼっちだ、誰もいない、と思えても、じつは、神さまがともにおられます。
わたしたちは、ひとりではありません。
詩編86:6 主よ、わたしの祈りをお聞きください。嘆き祈るわたしの声に耳を向けてください。86:7 苦難の襲うときわたしが呼び求めれば、あなたは必ず答えてくださるでしょう。
わたしたちが祈れば、神さまは聞いてくださいます。
それが、嘆きでも、神さまはわたしたちの声に耳を傾けてくださいます。
ただ苦しくて何もできないように思えても、
わたしたちは、「神さま」とお呼びすることはできます。
すると、神さまは、「ここにいるよ」、とかならずお答えくださいます。
2023年7月29日 土曜日
おはようございます。
神さまはすべてにまさります。ですから、神さまとの心の通い合いである祈りもすべてにまさります。
フィリピの信徒への手紙4:4 主において常に喜びなさい。重ねて言います。喜びなさい。4:5 あなたがたの広い心がすべての人に知られるようになさい。主はすぐ近くにおられます。4:6 どんなことでも、思い煩うのはやめなさい。何事につけ、感謝を込めて祈りと願いをささげ、求めているものを神に打ち明けなさい。4:7 そうすれば、あらゆる人知を超える神の平和が、あなたがたの心と考えとをキリスト・イエスによって守るでしょう。
神さまはわたしたちのすぐ近くにおられます。一緒にいてくださいます。だから、喜びましょう。思い煩って心を狭く閉ざすのではなく、神さまに向けて心を広く開き、感謝の祈りをささげましょう。
ひとり思い煩い苦しむのではなく、神さまにその苦しみや思い煩いを打ち明け、ここから救い出してくださいと打ち明けましょう。
そうすれば、自分の思い煩いでいっぱいだったわたしたちの心に、それをはるかに超える神さまの平和、シャロームが少しずつ注がれて、やがては思い煩いに代わってシャロームが満ち溢れることでしょう。
2023年7月28日 金曜日
おはようございます。
猛暑が続きます。熱中症には十分に気を付けましょう。
神さまは、この暑さの中も、わたしたちの信仰と心をお守りくださいます。
イザヤ書49:10 彼らは飢えることなく、渇くこともない。太陽も熱風も彼らを打つことはない。憐れみ深い方が彼らを導き、湧き出る水のほとりに彼らを伴って行かれる。
わたしたちの人生には、心が雑巾のようにぎりぎりと絞られ、悲鳴をあげそうなことが起こります。
けれども、なにものも、わたしたちの心をすっかり干上がらせることはできません。
神さまが、谷川の水で潤してくださいます。
神さまが、こんこんと湧き続ける泉へと、わたしたちを導いてくださいます。
2023年7月27日 木曜日
おはようございます。
わたしたちは、傷つき、倒れてしまうことがあります。
けれども、イエス・キリストがかならず起き上がらせてくださいます。
使徒言行録3:6 ペトロは言った。「わたしには金や銀はないが、持っているものをあげよう。ナザレの人イエス・キリストの名によって立ち上がり、歩きなさい。」3:7 そして、右手を取って彼を立ち上がらせた。すると、たちまち、その男は足やくるぶしがしっかりして、3:8 躍り上がって立ち、歩きだした。そして、歩き回ったり躍ったりして神を賛美した。
わたしたちは、金も銀も要りません。神さまがいてくださるからです。イエス・キリストがいてくださるからです。
キリストは、倒れているわたしたちの右手をとって、ぐっと起き上がらせてくださいます。
消えかけた心にふたたび炎を起こしてくださいます。
足やくるぶしに力が戻ってきます。
しぼんでいた霊にふたたび命がみなぎってきます。
躍り上がり、立ち上がり、歩き始め、歩きまわります。
神さまを賛美する歌がくちびるに戻ってきます。
2023年7月26日 水曜日
おはようございます。
わたしたちは、神さまから見放された、イエス・キリストはわたしから離れて行ってしまった、と思ってしまうようなことがありますが、そうではありません。
イエス・キリストはわたしたちのところに帰ってきてくださいます。いや、いますでに、イエス・キリストはわたしたちとともにおられます。
使徒言行録1:11 ガリラヤの人たち、なぜ天を見上げて立っているのか。あなたがたから離れて天に上げられたイエスは、天に行かれるのをあなたがたが見たのと同じ有様で、またおいでになる。
キリストは死んで墓に葬られて弟子たちから離れてしまったように思われましたが、復活して戻ってこられました。
今度は、天に帰り弟子たちからふたたび離れてしまうように思われますが、やはり戻って来られます。
いや、いますでに、イエス・キリストはわたしたちとともにおられます。
キリストは、わたしたちだけをここに残してどこかに行って、もう帰って来ない、ということはけっしてなさいません。
キリストは、とわに、ともにおられるお方です。
2023年7月25日 火曜日
おはようございます。
皆さんが今抱えている苦しみはとても大きく、簡単なものではありません。
それでも、この苦しみはやがて終わり、これよりはるかにすばらしい喜びが訪れる、と聖書は教えてくれます。
コリントの信徒への手紙二4:16 だから、わたしたちは落胆しません。たとえわたしたちの「外なる人」は衰えていくとしても、わたしたちの「内なる人」は日々新たにされていきます。4:17 わたしたちの一時の軽い艱難は、比べものにならないほど重みのある永遠の栄光をもたらしてくれます。4:18 わたしたちは見えるものではなく、見えないものに目を注ぎます。見えるものは過ぎ去りますが、見えないものは永遠に存続するからです。
わたしたちの心身は加齢やその時の状態、病気によって衰えることがありますが、神さまはわたしたちの中に霊を育ててくださいます。この霊は神さまによって与えられ、わたしたちが目に見えない神さまを感じることができるアンテナです。
今わたしたちの心身に見えるもの、感じるものの中には、たしかに、ほんとうに重いものがありますが、これはやがて過ぎ去ります。そして、目に見えないすばらしいもの、つまり、神さまの癒しが訪れます。
いや、それは、目に見えないし、あるいは、心理的には感じられないかもしれませんが、じつは、今すでにここにあるのです。
わたしたちの苦しみのただ中にも、神さまは目に見えないけれども、たしかにともにいらしてくださり、慰め、癒し、お支えくださることを、霊のアンテナは教えてくれます。御言葉とお祈りが教えてくれます。
2023年7月24日 月曜日
おはようございます。
わたしたちは自分の気持ちをコントロールすることは難しいですが、少しずつ自分のその日の気分を乗り越えることは可能だ、とヘンリー・ナウエンという人は述べています(「今日のパン、明日の糧」より)。
「朝、起きるような気分にはならない時があるかもしれません・・・けれども、とにかく起き上がって福音書を読み、詩編を祈り、新しい日を神に感謝する時を持つなら、気分にうちのめされることはなくなってゆくでしょう」
ヨハネの黙示録5:12 天使たちは大声でこう言った。「屠られた小羊は、力、富、知恵、威力、誉れ、栄光、そして賛美を受けるにふさわしい方です。」
イエス・キリストは十字架刑に処せられましたが、神さまはこのキリストに力、誉れ、栄光を与えられ、わたしたちはこのキリストを賛美します。
わたしたちもときにまるで刑でも受けているかのようにひどく打ちのめされますが、神さまは聖書の言葉を通して、わたしたちに力と恵み、愛を与えてくださいます。
今朝も、御言葉をいただき、神に感謝しながら、一日を始めましょう。
2023年7月23日 主日(日曜日)
おはようございます。
悲しい朝もあるでしょう。
けれども、パウロは言います。
テサロニケの信徒への手紙一5:16 いつも喜んでいなさい。5:17 絶えず祈りなさい。5:18 どんなことにも感謝しなさい。これこそ、キリスト・イエスにおいて、神があなたがたに望んでおられることです。
神さまがいつもわたしたちとともにいてくださるから、わたしたちもいつもそれを喜ぶのです。
神さまが絶えず聞いていてくださるから、わたしたちも絶えず祈るのです。
神さまがどんな場合にもわたしたちをお見捨てにならないから、わたしたちもどんな場合にも神さまに感謝するのです。
2023年7月22日 土曜日
おはようございます。
誰もわたしの味方になってくれない。
わたしたちはこのように苦しむことがあります。
けれども、イエス・キリストはこう言われます。
ヨハネによる福音書14:16 父は別の弁護者を遣わして、永遠にあなたがたと一緒にいるようにしてくださる。14:17 この方は、真理の霊である・・・この霊があなたがたと共におり、これからも、あなたがたの内にいるからである。14:18 わたしは、あなたがたをみなしごにはしておかない。あなたがたのところに戻って来る。
神さまとイエス・キリストはつねに弟子たちとともにおられました。けれども、キリストが天に帰られる際に、神さまは「別の弁護者」を遣わしくださいます。
「弁護者」とは、誰かの横にいてその人を守ってくれる存在です。
この弁護者はじつは「真理の霊」つまり聖霊さまなのです。聖霊さまはわたしたちとともにいてくださり、わたしたちの心の中にいてくださいます。
聖霊さまがわたしたちとともにいてくださるということは、じつは、天におられる神さま、その右におられるキリストが、地上にいるわたしたちとともにいてくださることと同じことなのです。キリストが「あなたがたのところに戻って来る」と言われるのは、そういう意味なのです。
誰も味方になってくれないように思えても、このように、じつは、神さま、キリスト、聖霊さまがわたしたちと一緒にいてくださり、わたしたちを支えてくださいます。
2023年7月21日 金曜日
おはようございます。
わたしたちの人生には、さまざまな困難が起こりますが、神さまがかならずお守りくださいます。
詩編66:10-12 神よ、あなたは我らを試みられた。銀を火で練るように我らを試された・・・我らは火の中、水の中を通ったが、あなたは我らを導き出して、豊かな所に置かれた。
火の中、水の中を通るように苦しい時、わたしたちは、何に助けを求めるでしょうか。お金、人間関係、自分の努力も、大切です。けれども、わたしたちの根本の支えは神さまです。
神さまにお委ねすることなく、ただ、お金や人や自分だけに頼もうとする、そして、神さまから離れてしまう。これが試練です。誘惑です。
この苦しみを、神さまにお委ねしたうえで、なんとか自分でも乗り越えようとしているかどうか。神さま以外のものを自分の最大の拠り所にしていないかどうか。これがわたしたちの人生の試練です。
2023年7月20日 木曜日
おはようございます。
神さまは、今日も、わたしたちに生きることを許してくださいます。
マタイによる福音書6:37 人を裁くな。そうすれば、あなたがたも裁かれることがない。人を罪人だと決めるな。そうすれば、あなたがたも罪人だと決められることがない。赦しなさい。そうすれば、あなたがたも赦される。
これは、わたしたちが人を裁かなければ神さまもわたしたちを裁かないでくださる、というよりは、わたしたちが人を裁かなければ人からも裁かれないだろう、人を赦せば人からも赦されるだろう、という意味ではないでしょうか。
なぜならば、神さまがわたしたちを赦してくださるのはわたしたちが神さまや人を赦したからではないからです。
ぎゃくに、神さまがわたしたちを赦してくださったから、わたしたちも人を赦そうと祈り、努力すべきなのです。そうすると、相手もわたしたちを赦そうとしてくれるかもしれません。
神さまはわたしたちをすでに赦してくださいました。だから、わたしたちも人を赦しましょう。そうすれば、そこには、人と人とがたがいに赦しあう、という希望が生まれます。
2023年7月19日 水曜日
おはようございます。
神さまは、わたしたち人間の罪、悪をはっきり示してくださいますが、裁き捨てず、お救いくださいます。
エゼキエル書18:31 お前たちが犯したあらゆる背きを投げ捨てて、新しい心と新しい霊を造り出せ。イスラエルの家よ、どうしてお前たちは死んでよいだろうか。18:32 わたしはだれの死をも喜ばない。お前たちは立ち帰って、生きよ」と主なる神は言われる。
神さまは、わたしたちがどんな罪人であっても、死んでよい、滅びてよい、とは言われません。
むしろ、神さまに立ち帰って生きよ、とお招きくださいます。
新しい心と新しい霊を造り出せ、と導いてくださいます。
けれども、わたしたちを神さまに立ち帰らせてくださり、わたしたちに新しい心を造り、新しい霊を注いでくださるのも、じつは、神さまご自身なのです。
神さまがわたしたちを神さまに立ち帰らせてくださり、新しい心、新しい霊を備えてくださったことに、わたしたちは気づいて、神さまとともに、新しい心、新しい霊で、歩もうではありませんか。
2023年7月18日 火曜日
おはようございます。
ルカによる福音書16:13 どんな召し使いも二人の主人に仕えることはできない。一方を憎んで他方を愛するか、一方に親しんで他方を軽んじるか、どちらかである。あなたがたは、神と富とに仕えることはできない。
富やお金がまったくいけないのではありません。
衣食住や教育や医療、趣味、教養など、生活には適度なお金が必要です。
けれども、お金に神さまのように仕えてはならない、とイエス・キリストは言われるのです。
お金を自分の「根本の支え」にしてしまったり、お金の奴隷になってしまってはならないのです。
必要以上にお金を求めて必死になったり、人を傷つけたり、お金をすべてに優先させたりしてはならないのです。
お金はある程度必要ですが、わたしたちを根本で支えてくださるのは神さまです。
ですから、わたしたちは、神さまにお仕えするのです。
お金を慕ってはなりません。神さまを慕うのです。
わたしたちは、神さまを慕い求めるのです。
神さまがわたしたちをお支えくださいます。
2023年7月17日 月曜日
おはようございます。
自分を傷つけた相手に対して、わたしたちは、激しくやりかえすでしょうか。それとも、それをおさえて、相手を傷つけないようにおだやかに接するでしょうか。
詩編1:1 いかに幸いなことか、神に逆らう者の計らいに従って歩まず、罪ある者の道にとどまらず、傲慢な者と共に座らず 1:2 主の教えを愛し、その教えを昼も夜も口ずさむ人。1:3 その人は流れのほとりに植えられた木。ときが巡り来れば実を結び、葉もしおれることがない。その人のすることはすべて、繁栄をもたらす。
わたしたち人間の心は神さまから離れ、「敵を憎み、敵をやっつけよ」と言います。
けれども、キリストは「敵を愛し、自分を迫害する者のために祈りなさい」と教えてくださいます。
キリストのこの教えをつねに口ずさむほど愛する人はほんとうに幸せです。
神さまの御言葉は、わたしたちを潤し、一本の木へと育ててくださいます。
2023年7月16日 主日(日曜日)
おはようございます。
今日、そして、今週は、「清い心」で人と交わらせてください、と祈りましょう。
ペトロの手紙一1:22 あなたがたは、真理を受け入れて、魂を清め、偽りのない同胞愛を抱くようになったのですから、清い心で深く愛し合いなさい。
神さまがわたしたちを愛してくださることをあらためて受け入れて、魂を清め、誠実な隣人愛をもって、人と愛し合わせてください、と切に祈りましょう。
そんなことがわたしたちにできるでしょうか。神さまにはおできになります。
1:23 あなたがたは、朽ちる種からではなく、朽ちない種から、すなわち、神の変わることのない生きた言葉によって新たに生まれたのです。
人を大事にできない古いわたしたちを、神さまは、永遠の愛、永遠の御言葉によって、新たに生まれ変わらせてくださいます。
誰かの前で、神さまの愛の御言葉を思い出すならば、わたしたちは、それを思い出さないときよりも、清く、誠実で、愛のある言葉を紡ぐことができるでしょう。
今日、今週、わたしたちが誰かの前で発する言葉が、神さまの御言葉から生まれる言葉でありますように、とともに祈りましょう。
2023年7月15日 土曜日
おはようございます。
今朝のあなたの心は明るいでしょうか。
イエス・キリストが死んでしまって、二人の弟子は、暗い心で歩いていました。
そこに、復活なさったキリストがあらわれ、一緒に旅をします。
すると、なんということでしょうか。
ルカによる福音書24:32 道で話しておられるとき、また聖書を説明してくださったとき、わたしたちの心は燃えていたではないか
キリストが、同じ道を歩いてくださり、語りかけてくださり、神さまの愛のメッセージを伝えてくださるとき、それまで冷たかったふたりの心が、熱く燃えだしたのです。
今日、わたしたちが歩く道をも、キリストは、いっしょに歩んでくださり、平安と励ましと導きのお言葉をくださり、沈んでいたわたしたちの心に、まばゆい光を照らしてくださることでしょう。
2023年7月14日 金曜日
おはようございます。
わたしたちの心を大事にしましょう。
自分の欲望ではなく、わたしたちの祈りを、そこにおられる神さまをいちばん大切にいたしましょう。
箴言4:23 何を守るよりも、自分の心を守れ。そこに命の源がある。
神さまは、わたしたちが今日を生きる命をあたえてくださいます。
わたしたちは、神さまのまっすぐな命に導かれましょう。
4:24 曲がった言葉をあなたの口から退け、ひねくれた言葉を唇から遠ざけよ。4:25 目をまっすぐ前に注げ。まなざしを前にまっすぐ向けよ。
たとえ、頭に思い浮かんでも、まがった言葉はできるだけ避けましょう。
まなざしをまっすぐに神さまに向けましょう。
まなざしをまっすぐにその人に向けましょう。
わたしたちの心におられるまっすぐな神さま、まことの神さまを想い、
まっすぐな一日、まことの命を生きましょう。
2023年7月13日 木曜日
おはようございます。
わたしたちは、人の言葉に、励まされたり、はんたいに、傷つけられたりします。
けれども、パウロはこう言います。
ローマの信徒への手紙8:33 だれが神に選ばれた者たちを訴えるでしょう。人を義としてくださるのは神なのです。8:34 だれがわたしたちを罪に定めることができましょう。死んだ方、否、むしろ、復活させられた方であるキリスト・イエスが、神の右に座っていて、わたしたちのために執り成してくださるのです。
わたしたちは、人の評価にではなく、神さまに委ねましょう。
神さまはわたしたちの悪をあきらかにしてくださいますが、わたしたちを裁き捨てることをなさいません。
むしろ、わたしたちをそのふところに受け入れてくださいます。
たとえ、人からは斥けられようとも、神さまはわたしたちをお見捨てにならない、かえって、わたしたちをどこまでも愛してくださいます。
わたしたちは、人の言葉ではなく、神さまの愛に支えられましょう。
神さまは、わたしたちをお支えくださいます。
2023年7月12日 水曜日
おはようございます。
自分の中に人を赦せない気持ちがあることや、自分の言葉や行動が人を傷つけてしまうこと、また、神さまに従っていないことに気づいたとき、わたしたちは、神さまの裁きを恐れます。
けれども、聖書はこう言います。
詩編103:8 主は憐れみ深く、恵みに富み、忍耐強く、慈しみは大きい。103:9 永久に責めることはなく、とこしえに怒り続けられることはない。103:10 主はわたしたちを、罪に応じてあしらわれることなく、わたしたちの悪に従って報いられることもない。103:11 天が地を超えて高いように、慈しみは主を畏れる人を超えて大きい。
わたしたちが神さまを畏れるとき、神さまは、わたしたちの悪や罪を執拗に責め立てるのではなく、むしろ、赦してくださり、それを乗り越えることができるように導いてくださいます。
それが神さまの慈しみです。
わたしたちの罪や悪はたしかに深く、神さまはそれをしっかりと教えてくださいますが、神さまの慈しみと憐みと恵みは、わたしたちの罪や悪よりはるかに大きく、わたしたちをそこから救い出してくださいます。神さまはこのことをもわたしたちに教えてくださいます。
2023年7月11日 火曜日
おはようございます。
わたしたちの信仰は、神さまに救っていただくだけの強さや深さがあるのでしょうか。
わたしたちには、このような心配があります。
けれども、聖書には、こうあります。
ヨハネによる福音書3:16 神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。3:17 神が御子を世に遣わされたのは、世を裁くためではなく、御子によって世が救われるためである。
ここには、キリストを信じる者は救われる、とありますが、
それだけでなく、神さまはキリストを与えてくださるほどに世=わたしたちを愛してくださった、ともあります。
わたしたちは、キリストを信じますが、それが不十分であっても、神さまは独り子をくださるほどの愛で、わたしたちを救ってくださるのではないでしょうか。
この聖書の箇所には、独り子を信じる者は独りも滅びない、とありますが、
どうじに、その独り子=御子が世=わたしたちを救ってくださる、ともあります。
ここに、信仰が十分でないわたしたちを救ってくださる神さまの愛があるのではないでしょうか。
わたしたちの信仰は、キリストによる救い、神さまの愛に支えられているのです。
2023年7月10日 月曜日
おはようございます。
わたしたちは、自分が馬鹿と言われたら、そっちこそが馬鹿だ、とやり返すでしょうか。ほっぺたを打たれたら、打ち返すでしょうか。そして、互いから出る憎悪の渦に巻き込まれていくでしょうか。
それとも、侮辱されても、やり返さないでいるでしょうか。そんなことはやめてくださいと静かに言うことはあっても、相手と同じレベルの言葉や行動はしないでいられるでしょうか。さらには、できれば、相手を愛したいと祈り求めることができるでしょうか。
エフェソの信徒への手紙6:12 わたしたちの戦いは、血肉を相手にするものではなく、支配と権威、暗闇の世界の支配者、天にいる悪の諸霊を相手にするものなのです。6:13 だから、邪悪な日によく抵抗し、すべてを成し遂げて、しっかりと立つことができるように、神の武具を身に着けなさい。
わたしたちが本当に乗り越えるべきものは、目の前で自分を傷つける相手ではなく、その相手との間に憎悪の渦を引き起こし、わたしたちを暗闇に閉じ込めようとする悪の力ではないでしょうか。わたしたちを恨みや復讐に駆り立てるその力はひじょうに強く、しかもわたしたちの自己中心と親しく、抵抗したり乗り越えたりすることは、困難です。
けれども、ひとつ方法があります。それが神さまの武具を身に着けることです。神さまの愛をわたしたちの上から着ることです。神さまの愛をわたしたちの中に吸い込むことです。わたしたちの心を神さまの愛で満たすこと、神さまの愛にわたしたちの心を満たしていただくことです。
神さまの愛こそが、わたしたちを憎悪の渦、暗闇から助け出してくださるただ一つのもの、神さまの武具なのです。
そして、神さまの武具はライフジャケットでもあります。わたしたちを暗闇に溺れることから救い、神さまのいのちへと導いてくださるからです。
2023年7月9日 主日(日曜日)
おはようございます。
箴言3:5 心を尽くして主に信頼し、自分の分別には頼らず 3:6 常に主を覚えてあなたの道を歩け。そうすれば、主はあなたの道筋をまっすぐにしてくださる。3:7 自分自身を知恵ある者と見るな。
わたしたちは、自分の理屈や感情や直感や利益やこだわりによって判断するのではなく、神さまに委ね、神さまに導かれなければなりません。
それでも、その結果が完全に神さまに従うものであるとは言えず、自分の判断が混じっているかもしれません。
たとえ、それが自分では神さまの御心に従ったと「思って」も、そう「思って」いるのは「自分」であることを忘れてはなりません。
神さまは、わたしたちの理解を超えています。わたしたちが神さまについてわかることは、わたしたちは神さまをわかったと思ってはならない、わたしたちは神さまに到達したと思ってはならない、ということだけです。
けれども、神さまは、わたしたちをわかってくださいます。
神さまは、わたしたちのところまで来てくださいます。
わたしたちが語れることは、神さまの知識でも謎でも仕組みでもなく、
このような神さまの愛だけなのです。
神さまがわたしたちとともにいらしてくださるということだけなのです。
わたしたちと神さまとのつながりは、知識ではなく、信頼と委ねなのです。
2023年7月8日 土曜日
おはようございます。
詩編138:1 ダビデの詩。わたしは心を尽くして感謝し、神の御前でほめ歌をうたいます。
ダビデが、神さまに心の底から感謝して、ほめ歌を歌うのはなぜでしょうか。
138:3 呼び求めるわたしに答え、あなたは魂に力を与え、解き放ってくださいました。
それは、神さまが、これまでに、ダビデの祈りに答え、ダビデの魂に力を与え、苦しみから平安へと解き放ってくださることがあるからです。
神さまは、わたしたちの祈りにも答えてくださり、魂に力を与えてくださり、心の重荷をとりさり、軽くしてくださいました。
この経験を思い出し、この経験に基づいて、わたしたちは、ダビデとともに、今日も祈ります。
138:7 わたしが苦難の中を歩いているときにも、敵の怒りに遭っているときにも、わたしに命を得させてください。
たとえ、今日のわたしたちの道がけわしくても、神さまは、わたしたちの苦しみの声を聴いてくださり、わたしたちの心の蔵に力をみたしてくださり、わたしたちの足取りを軽くしてくださいます。
2023年7月7日 金曜日
おはようございます。
ヨハネの黙示録21:10 この天使が、“霊”に満たされたわたしを大きな高い山に連れて行き、聖なる都エルサレムが神のもとを離れて、天から下って来るのを見せた。21:11 都は神の栄光に輝いていた。その輝きは、最高の宝石のようであり、透き通った碧玉のようであった。
今、世界は傷つき、苦しんでいますが、やがて、天の都が地におりてきて、この世界は、最高の宝石のように、神さまの栄光で輝きます。
今、わたしたちの心が傷つき、苦しんでいるとしても、やがて、天から神さまの愛が降り注がれ、心は神さまの光に照らされ、燦然と輝きます。
もし、わたしたちが肉体の目ではなく、“霊”の目で見るならば、「やがて」はすでに「今」に重なっています。
今、すでに、今朝、すでに、神さまはわたしたちとともにおられ、わたしたちをいつくしみで照らし、愛で満たしていてくださいます。
静かに目を閉じて、静けさに耳を傾け、ふとんに横になるように神さまに全身をまかせ、しばらくじっとそこに安らぐならば、わたしたちにも、それが感じられます。
霊がそっとささやいてくれます。
それには、まず静まることです。
2023年7月6日 木曜日
おはようございます。
新しい朝が来ました。
苦しんできたわたしたちの古い心を、神さまが、まったく新しくしてくださいます。
詩編51:12 神よ、わたしの内に清い心を創造し、新しく確かな霊を授けてください。51:19 神の求めるいけにえは打ち砕かれた霊。
わたしたちの祈りを聞いて、神さまは、わたしたちの中に清い心を創造してくださいます。新しく確かな霊を授けてくださいます。
わたしたちが自分のかたくなな心を打ち砕くことを神さまはお求めになられますが、同時に、神さまご自身がわたしたちの頑固な思いをもみほぐし血を通わせ柔らかくしてくださいます。
2023年7月5日 水曜日
おはようございます。
マルコによる福音書1:15 時は満ち、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信じなさい。
「神の国」とは「神さまが愛で治めてくださる国」ということです。
「神の国は近づいた」とは「もうじきやってくる」ということだけではなく、「いますでにここにある」ということでもあります。
なぜなら、「時は満ちた」とイエス・キリストは言っておられます。
わたしたちが、自分の心の表面ではなく、心の奥深くの霊を静かに見つめれば、そこには、神さまの愛が満ち溢れています。
自分の恐れや不安を、自分の恐れや不安で騒ぎ立つ心で見て、さらに搔き立てるのではなく、わたしたちの心の内の奥底に満ちる神さまの愛、どうじに、わたしたちの外皮を包む空気、世界に満ちる神さまの愛を、静かに、大きく感じ、吸い込むのです。
「悔い改める」とは、まさに、このことで、騒ぎ立つ自分の心にのめり込んでしまうのではなく、平安な神さまの愛、この世界に満ちている神さまの愛に、わたしたちの思いを、わたしたちの祈りをじっと傾けるのです。
けれども、これは、信仰の達人だけ、信仰深い人だけができる高度なことではありません。
神さまの美しい御言葉をわたしたちの心の中で静かにいただき、静かに祈り、沈黙しつつ沈黙の静けさの中で神さまの平安を感じるのです。
目を閉じて、お腹を土台にして口から細く息を吐きながら、ゆっくり静かに、「いち、に・・・」と数え、心にそよ風を感じるのです。
2023年7月4日 火曜日
おはようございます。
昔のつらい経験が思い出され、眠れなかったり、苦しかったりすることはないでしょうか。
そのようなわたしたちに神さまはこう言ってくださいます。
イザヤ書65:17 見よ、わたしは新しい天と新しい地を創造する。初めからのことを思い起こす者はない。それはだれの心にも上ることはない。65:18 代々とこしえに喜び楽しみ、喜び躍れ。わたしは創造する。見よ、わたしはエルサレムを喜び躍るものとして/その民を喜び楽しむものとして、創造する。
あの古い日々は過ぎ去りました。神さまがわたしたちに新しい時を創造してくださったのです。
あのことを思い出す必要はありません。たとえ、思い出されても、神さまの創造してくださった今の恵みの方が、それにはるかにまさります。
わたしたちは悲しみ伏していましたが、神さまはわたしたちを喜び踊る者として、今日、あらためて、創造してくださいます。
わたしたちは嘆き悲しんでいましたが、神さまはわたしたちを喜び楽しむ者として、今日、もう一度、創造してくださいます。
神さまは、苦しかった古い日々を去らせ、喜ばしい新しい今日を創造してくださいます。
2023年7月3日 月曜日
おはようございます。
ヨハネの手紙一1:5 わたしたちがイエスから既に聞いていて、あなたがたに伝える知らせとは、神は光であり、神には闇が全くないということです。1:6 わたしたちが、神との交わりを持っていると言いながら、闇の中を歩むなら、それはうそをついているのであり、真理を行ってはいません。
わたしたちが、人を傷つけたり憎んだりするのなら、それは、神さまよりも、暗黒の力に従ってしまっているのでしょう。
わたしたちが、まったく希望を持たず、失望に陥るのなら、それも、神さまよりも、暗黒の力に飲み込まれているのでしょう。
そうは言っても、じっさい、わたしたちは信仰を持っていても、人を傷つけたり憎んだり、あるいは、失望に陥ったりすることがないのでしょうか。
そのようなことをしてしまえば、それは、もはや、神さまを信じているとは言えないのでしょうか。
神さまの光の中を歩くとは、人を傷つけたり、失望したりしないことだけでなく、たとえ、人を傷つけたり、失望したりすることがあっても、それに気づくということではないでしょうか。
神さまの光の中を歩けば、たとえ、人を傷つけたり憎んだり、失望に陥ったりしてしまっても、神さまの光がそれに気づかせてくださいます。
そして、自分を傷つける人を愛し、どんなに悲観的なときでも希望を持って歩かせてくださいます。
2023年7月2日 主日(日曜日)
おはようございます。
自分は大丈夫だろうか、あの人は大丈夫だろうか。
わたしたちは大きな心配を抱えています。
けれども、神さまは世界のすべての人びとを愛しておられる、と聖書は教えてくれます。
ヨハネによる福音書3:16 神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。3:17 神が御子を世に遣わされたのは、世を裁くためではなく、御子によって世が救われるためである。
神さまは、わたしたちやわたしたちのまわりの人びとを裁き捨てません。
むしろ、救ってくださいます。
わたしたちすべての者と、神さまはしっかりつながってくださり、
ゆたかな生を歩ませてくださいます。
神さまのこの愛に感謝して、また、この愛におこたえして、
わたしたちも、人を裁き捨てず、むしろ、どこまでも愛する生き方を祈り求めましょう。
わたしたちの言葉や行動が人を裁くのではなく、人に神さまの愛を伝える器になるように切に祈りましょう。
2023年7月1日 土曜日
おはようございます。
テモテへの手紙二1:6 そういうわけで、わたしが手を置いたことによってあなたに与えられている神の賜物を、再び燃えたたせるように勧めます。1:7 神は、おくびょうの霊ではなく、力と愛と思慮分別の霊をわたしたちにくださったのです。
はじめて聖書の言葉が奥底まで届いたときの、燃えるような心を覚えているでしょうか。
はじめて礼拝で心が震えたときの、目頭のぬくもりを覚えているでしょうか。
はじめて誰かが自分のために祈ってくれたときの、両手の熱さを覚えているでしょうか。
はじめて神さまに触れたときの、いや、神さまが触れてくださっていることに気づいたときの、
全身の体温を覚えているでしょうか。
あの日のことが、今朝、いきいきとよみがえります。
たとえ、わたしは弱くても、それを吐き出し、息を深く吸い込めば、神さまの霊がわたしを強くしてくださいます。
たとえ、わたしは愛することにおくびょうであっても、神さまの霊がわたしを愛で満たしてくださいます。
たとえ、わたしが愚かでわからなくても、神さまの霊がわたしを導いてくださいます。
2023年6月30日 金曜日
おはようございます。
詩編51:17 主よ、わたしの唇を開いてください。この口はあなたの賛美を歌います。51:19 しかし、神の求めるいけにえは打ち砕かれた霊。打ち砕かれ悔いる心を、神よ、あなたは侮られません。
開かれたわたしたちの唇から出るべきものは、人を責める言葉ではなく、神さまへの賛美です。そのために、神さまはわたしたちの唇を開いてくださいます。
神さまがわたしたちに望まれる献げ物は、敵意、争い、怒り、利己心、不和、仲間争い、ねたみ(ガラテヤ5:20)など、人を傷つける言葉ではなく、神さまの前でへりくだった心、傲慢さと自分中心を打ち砕かれた心です。
神さまの前で、目を閉じて、じっと静かにすれば、わたしたちの驕り高ぶりが浮き上がり、しかし、神さまがそれを打ち砕いてくださり、愛、喜び、平和、寛容、親切、善意、誠実、柔和、節制(ガラテヤ5:22)を聖霊さまがわたしたちの心に宿らせてくださいます。
そのとき、わたしたちの口からは、賛美があふれ出ます。
今日も、主のほめ歌を口ずさみつつ、ともに歩もうではありませんか。
2023年6月29日 木曜日
おはようございます。
マタイによる福音書18:21 ペトロがイエスのところに来て言った。「主よ、兄弟がわたしに対して罪を犯したなら、何回赦すべきでしょうか。七回までですか。」18:22 イエスは言われた。「あなたに言っておく。七回どころか七の七十倍までも赦しなさい。
この言葉を読むと、わたしたちは、人を490回も赦すことはできない、と落ち込んでしまうかもしれません。
けれども、これに続くイエス・キリストのたとえ話では、6000億円の借金を帳消しにする王の話が出てきます。
自分は人を赦せないと自覚すること、自分の限界、自分の罪をしっかりと理解することは、わたしたちにとって、ひじょうに大切です。
けれども、さらに大切なことは、神さまはそのようなわたしたちをも赦してくださるということです。
そして、それゆえに、わたしたちも、神さまの御心にしたがって、人を赦せるように成長させてください、と祈ることです。
わたしは人を赦せないという罪を負っている、
けれども、神さまはそんなわたしをも赦してくださる、
だから、わたしも人を赦せるように少しでも成長したい、
少しでも神さまの赦しのお心に近づきたい、
と祈ります。
2023年6月28日 水曜日
おはようございます。
詩編139:8 陰府に身を横たえようとも、見よ、あなたはそこにいます。139:10 あなたはそこにもいまし、御手をもってわたしを導き、右の御手をもってわたしをとらえてくださる。139:11 わたしは言う。「闇の中でも主はわたしを見ておられる。夜も光がわたしを照らし出す。」139:12 闇もあなたに比べれば闇とは言えない。夜も昼も共に光を放ち、闇も、光も、変わるところがない。
わたしたちが、たとえ、この世界のどん底で起き上がれないでいても、神さまは、そこにいらしてださいます。
そして、神さまはその右手を伸ばして、わたしたちの手のひらをつかみ、起き上がらせてくださいます。
わたしたちがこの世の闇にいようとも、神さまは、光となって、わたしたちを照らし出してくださいます。
人生のどんな闇も、神さまという光があれば、それは闇ではありません。
そして、わたしたちがこの世の旅を終えたときも、神さまは、光となって、わたしたちとともにいらしてくださいます。
2023年6月27日 火曜日
おはようございます。
コリントの信徒への手紙二3:2 わたしたちの推薦状は、あなたがた自身です。それは、わたしたちの心に書かれており、すべての人々から知られ、読まれています。3:3 あなたがたは、キリストがわたしたちを用いてお書きになった手紙として公にされています。墨ではなく生ける神の霊によって、石の板ではなく人の心の板に、書きつけられた手紙です。
わたしたちが会社や学校に入りたいとき、それにふさわしい人物であることを示すために、誰かの推薦状が必要なことがあります。
けれども、世の中で、自分が神さまを信じる者、従う者であることを示すには、わたしたち自身が推薦状になる、とパウロはこの手紙で述べています。
わたしたちが神さまを信じる者であることを示すのは、信仰に基づき、神さまの愛に倣うわたしたちの言葉や行動だと言うのです。
神さまの愛に従った言葉や行動など、わたしたちには無理だと思うかもしれませんが、神さまの霊がそのように導いてくださる、というのです。
神さまの愛のお心、神さまの霊が、わたしたちをどのように用いてくださろうとしているのか、静かに祈り、耳を澄ませましょう。
2023年6月26日 月曜日
おはようございます。
歴代誌下7:14 もしわたしの名をもって呼ばれているわたしの民が、ひざまずいて祈り、わたしの顔を求め、悪の道を捨てて立ち帰るなら、わたしは天から耳を傾け、罪を赦し、彼らの大地をいやす。
わたしたちは、これと同じことを、けれども、これと逆の流れを、日々経験しているのではないでしょうか。
神さまは、天から、わたしたちの喜び、悲しみの声、祈りに耳を傾けてくださいます。
わたしたちが、神さまと隣人に対してじゅうぶんに誠実とは言えないとしても、わたしたちを受け入れ、お赦しくださいます。
わたしたちが毎日生きる世界とわたしたち自身は、じつは、すでに神さまの癒しの御手の中にあります。
だからこそ、わたしたちは、神さま、感謝いたします、お名前をほめたたえます、と神さまに祈り、神さまを賛美するのです。
今日も、今日という一日を神さまが用意してくださった、この奇跡を、心から喜び、心から感謝して、神さまの方を向き、神さまにつきしたがって、道を歩もうではありませんか。
2023年6月25日 主日(日曜日)
おはようございます。
神さまは、わたしたちに、最良のものを用意してくださいました。
それは、イエス・キリストの御言葉です。
ルカによる福音書10:41 マルタ、マルタ、あなたは多くのことに思い悩み、心を乱している。しかし、必要なことはただ一つだけである。マリアは良い方を選んだ。
マルタは、あれもしなくてはならない、これもしなくてはならない、と思い悩み、せわしく立ち回りました。
けれども、マリアは、イエス・キリストの足元にすわって、その話に聞き入りました。
イエス・キリストは、それが、ただ一つの必要なことだ、と言われます。
神さまの御言葉は、他の何ものとも比べることのできない「良いもの」なのです。
わたしたちも、イエス・キリストの足元にすわって、その御言葉に聞き入りましょう。
神さまの御言葉は、たしかに、わたしたちを支え、癒し、導いてくださいます。
2023年6月24日 土曜日
おはようございます。
ヨハネの手紙一4:10 わたしたちが神を愛したのではなく、神がわたしたちを愛して、わたしたちの罪を償ういけにえとして、御子をお遣わしになりました。ここに愛があります。4:11 愛する者たち、神がこのようにわたしたちを愛されたのですから、わたしたちも互いに愛し合うべきです。
わたしたちは、神さまを愛さなければならない、そして、たがいに愛し合わなければならない、と考えます。
そして、そうできない、神さまと隣人を十分に愛することができない、わたしは罪が深い、神さまに愛されない、救われない、と思ってしまいます。
けれども、聖書は、わたしたちが神さまを愛したから神さまはわたしたちを愛してくれる、のではない、そういう順番ではない、と教えてくれます。まず、神さまがわたしたちを愛してくださったのです。
神さまの愛は、御子イエス・キリストをわたしたちのところに遣わして、わたしたちを救ってくださることに現れますが、これは、わたしたちが神さまを愛したから、ではなく、わたしたちが神さまを愛する前からのことなのです。
そして、まず神さまがわたしたちを愛してくださったから、それにおこたえして、わたしたちも互いに愛し合うべきだと聖書は教えてくれます。
わたしたちが互いに愛し合うべきだとは、どういうことでしょうか。
これは、たんじゅんに、わたしたちが愛し合わなければならない、という義務だけでなく、
神さまがわたしたちを愛してくださったのだから、
わたしたちにも愛し合うことが不可能ではなくなった、
わたしたちも愛し合うことがきっとできるだろう、
少しずつそうなっていく、
今よりもっと愛し合える日がきっとやってくる
という希望と可能性でもあるのです。
神さまがわたしたちを愛してくださった、いま愛してくださる。
ここに、わたしたちが今日を生きる希望と可能性があります。
2023年6月23日 金曜日
おはようございます。
詩編126:5 涙と共に種を蒔く人は、喜びの歌と共に刈り入れる。126:6 種の袋を背負い、泣きながら出て行った人は、束ねた穂を背負い、喜びの歌をうたいながら帰ってくる。
今流している涙は、やがて、喜びの歌に変わるでしょう。
今蒔いている種は、やがて、実りになるでしょう。
今泣きながら出て行く人は、やがて、ほほえんで帰って来るでしょう。
詩編30:11 主よ、耳を傾け、憐れんでください。主よ、わたしの助けとなってください。30:12 あなたはわたしの嘆きを踊りに変え、粗布を脱がせ、喜びを帯としてくださいました。30:13 わたしの魂があなたをほめ歌い、沈黙することのないようにしてくださいました。わたしの神、主よ、とこしえにあなたに感謝をささげます。
神さま、わたしは苦しいです、わたしを憐れんでください、わたしを助けてください、と祈りましょう。
涙の祈りをささげましょう。
神さまは、わたしたちの嘆きを踊りに変えてくださいます。
わたしたちの上着を、悲しみから喜びに換えてくださいます。
そのとき、わたしたちは、ほめ歌と感謝をくちずさみます。
2023年6月22日 木曜日
おはようございます。
わたしたちは悲しんでいます。
しかし、悲しむ心にこそ、神さまはお越しくださいます。
マタイによる福音書5:3 「心の貧しい人々は、幸いである、天の国はその人たちのものである」
わたしは欠けている、わたしは土の器で、すぐにこわれる。
わたしたちの心はこのように痛み苦しみますが、
じつは、ここにこそ、神さまはお越しくださるのです。
2023年6月21日 水曜日
おはようございます。
わたしたちは、今日一日を、どうやって生きたらよいでしょうか。
パウロは言います。
コリントの信徒への手紙一16:14 何事も愛をもって行いなさい。
「何事も」とありますから、
「おはよう」と言うときも、お弁当を作るときも、
「いってきます」「いってらっしゃい」にも、
通勤通学電車やバスに乗るときも降りるときも、
誰かの言葉を聞くときも、
ぶっきらぼうにではなく、しぶしぶにでもなく、
人を押しのけてでもなく、いやいやにでもなく、
愛を込めるのです。
聖書を読むときも、お祈りするときも
愛をもってするのです。
なぜなら、神さまはわたしたちを愛をもって創ってくださり、
愛をもって、今日も支えてくださるからです。
2023年6月20日 火曜日
おはようございます。
今、苦しんでいる友がいます。その大きさはわたしたちが想像できるものではないでしょう。
けれども、神さまのその人への愛、慈しみ、神さまがその人にもたらそうとしている慰めの大きさも、わたしたちの想像をはるかに超えたものです。
イエス・キリストが「 悲しむ人々は、幸いである、その人たちは慰められる」(マタイ5:4)と言われるとおりです。
悲しみはとても深い、どうじに、神さまがくださる慰め、幸いもとても深いのです。
パウロも、このことを知っています。
コリントの信徒への手紙二1:3 わたしたちの主イエス・キリストの父である神、慈愛に満ちた父、慰めを豊かにくださる神がほめたたえられますように。1:4 神は、あらゆる苦難に際してわたしたちを慰めてくださるいます。
苦しみは、肌で感じられますし、時には目に見えます。
しかし、神さまの慰めは、目には見えませんし、時には感じにくいこともあるでしょう。
けれども、わたしたちは目を閉じて、心を静かにして、
悲しみや苦しみを、ふーっと吐き出し、
神さまの静けさと慰めを、すーっと吸い込んで、
今日一日を始めようではありませんか。
神さまの慰めがあなたを満たしてくださいますように。
祈ります。
2023年6月19日 月曜日
おはようございます。
わたしたちは、誰かに何かを伝える時は、どのように話したらよいのでしょうか。
コロサイの信徒への手紙4:5 時をよく用い、外部の人に対して賢くふるまいなさい。4:6 いつも、塩で味付けされた快い言葉で語りなさい。そうすれば、一人一人にどう答えるべきかが分かるでしょう。
ひとつは、誰かに何かが伝わるには、時があるということです。あせらず、時を待ちましょう。
それから、強い言葉ではなく、相手を想いながら語りましょう。
おいしい料理のような、それでいて、食後に甘ったるさが残らない適度な塩味のような言葉で話しましょう。
今日出会うひとりひとりの人を、おもてなしをするように大切にできますように、と祈りましょう。
2023年6月18日 主日(日曜日)
おはようございます。
今週も、神さまが導いてくださいます。この幸いの道を、ともに歩みましょう。
詩編84:12 主は太陽、盾。神は恵み、栄光。完全な道を歩く人に主は与え/良いものを拒もうとはなさいません。84:13 万軍の主よ、あなたに依り頼む人は/いかに幸いなことでしょう。
神さまは、わたしたちに光と熱をくださる太陽です。
神さまは、わたしたちを守る盾(たて)です。
神さまは、わたしたちにすばらしいものをくださいます。
神さまは、わたしたちをゆたかにしてくださいます。
神さまは、わたしたちとともに、たしかにここにおられるお方です。
この神さまが用意してくださる道を歩く人は、
この神さまを道として歩む人は、
すべての良いものを神さまからいただきます。
この神さまを信頼して、この神さまが用意してくださる道を信頼して、
この神さまという道を信頼して歩むことが、
わたしたちの人生のさいわい、そのものなのです。
2023年6月17日 土曜日
おはようございます。
箴言4:23 何を守るよりも、自分の心を守れ。そこに命の源がある。4:24 曲がった言葉をあなたの口から退け/ひねくれた言葉を唇から遠ざけよ。
わたしたちがいちばん守らなくてはならないのは、わたしたちの心です。
なぜなら、心には、わたしたちの命の源があるからです。
わたしたちの命の源とは何でしょうか。
それは神さまです。
わたしたちの心には、神さまがおられるから、
わたしたちは心を守らなければならないのです。
まがった言葉、ひねくれた言葉、なげやりの言葉、
憎しみの言葉、軽蔑の言葉、こうした言葉は、
わたしたちの心を痛めます。
誠実なことば、いつくしみのことば、配慮のあることば、
平和のことば、尊敬のことば、こうした言葉は、
わたしたちの心を守ります。
わたしたちの心にある命の源、神さまからの命が喜んでくださり、
その喜びは、わたしたちの全身にも伝わり、
わたしたちは、神さまの喜びに満たされます。
今日も、わたしたちの言葉がやわらかでありますように、と祈ります。
2023年6月16日 金曜日
おはようございます。
わたしたちは、たんに昨日の続きで今日も生きているのではなく、
神さまは、今日、わたしたちにあらたないのちの息をくださいました。
あらたな日をくださいました。
神さまは、今日も、世界とわたしたちを新しくしてくださいます。
出エジプト記20:12 あなたの父母を敬え。そうすればあなたは、あなたの神、主が与えられる土地に長く生きることができる。
わたしたちが父母を敬うことは、神さまがこの世界を創造してくださったことに、つよく結びついています。
この言葉の直前に、こうあります。
20:11 六日の間に主は天と地と海とそこにあるすべてのものを造り、七日目に休まれたから、主は安息日を祝福して聖別されたのである。
神さまはわたしたちとわたしたちが生きる世界を創造してくださった、この文脈で、「あなたの父母を敬え」と神さまは言われるのです。父母を敬うことは神さまの創造の業に感謝することでもあるのです。
さらに、聖書には、「父母を敬え」に続けて、こうあります。
20:13 殺してはならない。
父母を敬うことは、殺さないこと、神さまが創造してくださった生命を守ることにもつながるのです。
このように、わたしたちは、神さまがわたしたちのいのちを創造し、今日もあらたにしてくださったことに感謝しながら、父母を想い、隣人の生命を想おうではありませんか。
2023年6月15日 木曜日
おはようございます。
今日も、出会う人、一緒にいる人とは、平和に過ごしたい、とわたしたちは祈っています。
それには、どうすればよいのでしょうか。
コロサイの信徒への手紙3:18 妻たちよ、主を信じる者にふさわしく、夫に仕えなさい。3:19 夫たちよ、妻を愛しなさい。つらく当たってはならない。3:20 子供たち、どんなことについても両親に従いなさい。それは主に喜ばれることです。3:21 父親たち、子供をいらだたせてはならない。いじけるといけないからです。
これは、妻や子は夫や父に服従せよ、という一方的なことを言っているのではなく、むしろ、夫婦、親子が、おたがいに、仕えあう、愛し合う、大事にし合うべきことが言われているのです。
3:23 何をするにも、人に対してではなく、主に対してするように、心から行いなさい。
神さまに対してするようにするのであれば、相手に、つらくあたったり、いらだたせたりはできないのではないでしょうか。
ローマの信徒への手紙15:7 キリストがあなたがたを受け入れてくださったように、あなたがたも互いに相手を受け入れなさい。
わたしたちが相手を受け入れる前に、キリストがわたしたちを受け入れてくださっておられます。
誰からも受け入れられていないように思えても、
誰かからは歓迎されていないように思えても、
キリストがわたしたちを受け入れてくださっておられます。
わたしたちを受け入れてくださるキリストに対してするように、わたしたちも相手を大事にできますように、と祈ります。
2023年6月14日 水曜日
おはようございます。
神さまは、わたしたちに自由をくださいました。
けれども、それは、好き勝手なことをする自由ではなく、神さまの僕として、愛に生きる自由です。
自分勝手な気持ち、誰かへの嫌な思いに束縛されず、それに打ち克って、神さまの愛に導かれる道を選ぶ自由です。
ペトロの手紙一2:16 自由な人として生活しなさい。しかし、その自由を、悪事を覆い隠す手だてとせず、神の僕として行動しなさい。
わたしたちは、人を大事にしなければならない義務はありません。そうしなければ、神さまに救われないなどということもありません。
それでも、人を大事にしたいと祈り、そうしようと努めることができる、これがわたしたちの自由なのです。
わたしたちは隣人を愛さなければならないのではなく、隣人を愛する自由があるのです。
今日も、神さまがくださった、人を愛する自由に基づいて、誰からも強いられることなく、ただ、神さまへの祈りと神さまの愛に基づいて、人を愛することができますように。
2023年6月13日 火曜日
おはようございます。
わたしたち自身はおくびょうであっても、神さまが力と愛と判断力をあたえてくださいます。
テモテへの手紙二1:7 神は、おくびょうの霊ではなく、力と愛と思慮分別の霊をわたしたちにくださったのです。
どんなにこわいことがあっても、聖霊が、それに打ち克つ力となってくださいます。
気持ちがどうしても憎しみに傾いてしまっても、聖霊が、それにまさる愛となってくださいます。
どんなにわからなくても、どんなに難しくても、聖霊が、判断してくださり、導いてくださいます。
神さま、あなたがくださった力と愛と思慮分別の霊がわたしを導いてください。
この祈りとともに、今日一日も、恐れずに歩みましょう。
2023年6月12日 月曜日
おはようございます。
今日、あるいは、今週、大きな試練を乗り越えなければならない方もおられるでしょう。
詩編56:10 神を呼べば、敵は必ず退き、神はわたしの味方だとわたしは悟るでしょう。
神さまがわたしたちの味方です。神さまは、呼べば、お越しくださり、困難をともに乗り越えてくださいます。
56:11 神の御言葉を賛美します。主の御言葉を賛美します。56:12 神に依り頼めば恐れはありません。人間がわたしに何をなしえましょう。
いかなる不安も苦しみも、わたしたちを完全に打ちのめすことはできません。
神さまがそれに打ち克ってくださるからです。
56:14 あなたは死からわたしの魂を救い、突き落とされようとしたわたしの足を救い、命の光の中に、神の御前を歩かせてくださいます。
神さまはおびえるわたしたちの魂を救い、わたしたちを突き落そうとするものから守り、神さまの前を歩かせてくださいます。神さまは、わたしたちのすぐうしろでわたしたちを支え、すぐうしろから、わたしたちの前に伸びる道を光で照らしてくださいます。その光はまさに神さまご自身です。
神さまは、わたしたちの前を行き、わたしたちを導き、どうじに、わたしたちの後ろにおられ、わたしたちをお守りくださいます。
2023年6月11日 主日(日曜日)
おはようございます。
自分の信仰は弱い、神さまを信じ切っていない、わたしは罪人だ、だから、神さまに愛されない、と思い込んだり、嘆いたりしていないでしょうか。
けれども、パウロはこう言います。
ローマの信徒への手紙5:6 実にキリストは、わたしたちがまだ弱かったころ、定められた時に、不信心な者のために死んでくださった・・・5:8 わたしたちがまだ罪人であったとき、キリストがわたしたちのために死んでくださったことにより、神はわたしたちに対する愛を示されました。
わたしたちが弱いときでも、神さまの愛は強いのです。
わたしたちが神さまに忠実でないときでも、神さまはわたしたちにどこまでも誠実なのです。
わたしたちが神さまから離れてしまうときでも、神さまはわたしたちの手を離さないのです。
イエス・キリストは、この神さまの愛であり、誠実であり、インマヌエルでいらっしゃいます。
このイエス・キリストが伴ってくださいますから、今週もこの道を歩みましょう。
2023年6月10日 土曜日
おはようございます。
苦しい時、神さま以外のものを最大の助けにしようという誘惑が、わたしたちを襲います。
けれども、それに打ち克ちなさい、とペトロは言います。
ペトロの手紙一5:9 信仰にしっかり踏みとどまって、悪魔に抵抗しなさい。あなたがたと信仰を同じくする兄弟たちも、この世で同じ苦しみに遭っているのです。5:10 しかし、あらゆる恵みの源である神、すなわち、キリスト・イエスを通してあなたがたを永遠の栄光へ招いてくださった神御自身が、しばらくの間苦しんだあなたがたを完全な者とし、強め、力づけ、揺らぐことがないようにしてくださいます。
苦しんでいるのは、わたしたちだけではありません。わたしたちの友も苦しんでいます。その苦しみをくぐり抜けようとしています。
自分の力、人間の力では、この苦しみに打ち克てない、神さまを一番の支えにすることができない、心をしっかり保てない、とわたしたちは思ってしまいます。
けれども、ペトロは、神さまが、わたしたちに力をくださり、勇気をくださり、わたしたちが揺れ動かないように、しっかりと支えてくださる、と教えてくれます。
2023年6月9日 金曜日
おはようございます。
たとえ、わたしたちが、この世の一番低いところにいても、神さまは、そこから、引き上げてくださいます。
詩編69:30 わたしは卑しめられ、苦痛の中にあります。神よ、わたしを高く上げ、救ってください。
神さまは、この叫び声を聞いてくださいます。
ヨブ記5:10 神は地の面に雨を降らせ/野に水を送ってくださる。5:11 卑しめられている者を高く上げ/嘆く者を安全な境遇に引き上げてくださる。
神さまは、わたしたちの渇いた心を潤してくださいます。
地の底に落ちたわたしたちを、緑の草原にまで引き上げてくださいます。
不安のどん底から、平安な高台まで導き上げてくださいました。
2023年6月8日 木曜日
おはようございます。
今日も、「気高いこと」に心を向け、平和の神とともに歩みましょう。
フィリピの信徒への手紙4:8 すべて真実なこと、すべて気高いこと、すべて正しいこと、すべて清いこと、すべて愛すべきこと、すべて名誉なことを、また、徳や称賛に値することがあれば、それを心に留めなさい。4:9・・・そうすれば、平和の神はあなたがたと共におられます。
陰で悪く言われたり、無視されたり、あるいは、直接言葉で傷つけられたりすれば、心はどうしてもそちらの方ばかりに向いてしまいます。
けれども、わたしたちのことを良く思ってくれている方、大事にしてくれる方、労わってくれる方もおられます。
すくなくとも、神さまとイエス・キリストはそうです。
イザヤ書43:4 わたしの目にあなたは価高い。
わたしたちを悪く見る人の目、自分の目ではなく、わたしたちを愛してくださる神さまのまなざし、イエス・キリストのまなざしに心を留めましょう。
そうすれば、神さまの平和、平安、シャロームが、わたしたちの心に宿ってくださいます。
2023年6月7日 水曜日
おはようございます。
わたしたちは、どうしても、人を傷つけてしまうことや押しのけてしまうことがあります。
また、悲しみや苦しみ、不安にばかり、心を奪われてしまうこともあります。
そういうこの世の力はとても強いのですが、
これにまさる、まことの力があります。
ヨハネの手紙一5:4 神から生まれた人は皆、世に打ち勝つからです。世に打ち勝つ勝利、それはわたしたちの信仰です。5:5 だれが世に打ち勝つか。イエスが神の子であると信じる者ではありませんか。
神さまの力、イエス・キリストを通して神さまからいただく力は、世の力に打ち勝ってくださるのです。
人を傷つけるようにわたしたちを仕向ける力、苦しみや不安の力がいかに強くても、神さまの力、そして、神さまを信じる信仰の力は、それよりもずっと強いのです。
ですから、聖書は神さまを「万軍の主」と呼び、わたしたちは「全能の神さま」と祈るのです。
この神さまの力がわたしたちには注がれています。
神さまのこの力に支えられて、今日もともに歩みましょう。
2023年6月6日 火曜日
おはようございます。
今日も、神さまのお心、キリストのお心を、胸に吸い込みながら、歩みましょう。
箴言14:29 忍耐によって英知は加わる。短気な者はますます無知になる。14:30 穏やかな心は肉体を生かし/激情は骨を腐らせる。
「忍耐」、つまり、希望をもってその時が来るのを待つこと、そして、「穏やかな心」。これらは神さまのお心、キリストのお心です。あるいは、聖霊の実りです。
ガラテヤ5:22 霊の結ぶ実は愛であり、喜び、平和、寛容、親切、善意、誠実、5:23 柔和、節制です。
「短気」「激情」、これらは、「肉の業」、つまり、神さまから離れたわたしたち人間の思いです。
ガラテヤ5:19 肉の業は明らかです。それは、姦淫、わいせつ、好色、5:20 偶像礼拝、魔術、敵意、争い、そねみ、怒り、利己心、不和、仲間争い
お腹をへこましながら、口から、「短気」や「激情」、さらには、不安や苦しみを、すーっと吐き出しましょう。細く、ゆっくり吐き出しましょう。
そして、今度は、お腹を膨らませながら、胸からお腹へと、神さま、イエス・キリスト、聖霊の愛をゆっくり吸い込みましょう。
2023年6月5日 月曜日
おはようございます。
今日も、目には見えませんが、たしかにおられるイエス・キリストを慕(した)い求めて、ともに歩みましょう。
フィリピの信徒への手紙2:3 何事も利己心や虚栄心からするのではなく、へりくだって、互いに相手を自分よりも優れた者と考え、2:4 めいめい自分のことだけでなく、他人のことにも注意を払いなさい。
自分の方がよくわかっているなどとうぬぼれずに、むしろ、相手を尊敬し、ひとりひとりが自分のことだけではなく、ほかの人のことにも心を向けましょう、とパウロはわたしたちを促しています。
それには理由があります。2:5 互いにこのことを心がけなさい。それはキリスト・イエスにもみられるものです。2:6 キリストは、神の身分でありながら、神と等しい者であることに固執しようとは思わず、2:7 かえって自分を無にして、僕の身分になり、人間と同じ者になられました。人間の姿で現れ、2:8 へりくだって、死に至るまで、それも十字架の死に至るまで従順でした。
イエス・キリストは、ご自分のこと〈だけ〉ではなく、いや、ご自分のことではなく、わたしたち人間のことに心を注ぎ込んでくださいました。
天の神さまとともにおられたのに、わたしたちと同じ地上に同じ人間として生まれてくださり、生きてくださり、わたしたちを愛し、わたしたちに仕え、ついには、十字架についてくださったのです。
ご自分よりもわたしたちを愛してくださったこのイエス・キリストに感謝し、そのお姿を慕(した)い求めて、わたしたちも、少しでも、自分より人を大切にすることができますようにと深く祈りつつ、今日も歩みましょう。
2023年6月4日 主日(日曜日)
おはようございます。
神さまは、わたしたちの喜びも、そして、悲しみも、すべてわかっていてくださいます。
神さまだけは、わたしたちの苦しみをわかってくださいます。
今週も、この神さまが支えてくださいますから、この道をともに歩みましょう。
詩編31:8 あなたはわたしの苦しみを御覧になり、わたしの魂の悩みを知ってくださいました。31:9 わたしを敵の手に渡すことなく、わたしの足を、広い所に立たせてくださいました。
神さまはわたしたちの苦しみを見てくださり、わたしたちの魂の悩みを知ってくださいます。
神さまはわたしたちをそこに放置なさいません。
神さまは、わたしたちを閉じ込める苦しみと悩みの部屋の扉の鍵を開けてくださり、 そこから外へと導きだしてくださいます。
歓びと平安の花が咲き乱れる広い野原へと、緑の牧場、青草の原へと、解き放ちてくださるのです。
2023年6月3日 土曜日
おはようございます。
今日も、顔と心を神さまに向けることから、一日を始めましょう。
歴代誌30:9 もしあなたたちが主に立ち帰るなら、あなたたちの兄弟や子供たちは、彼らを捕らえて行った者たちの憐れみを受け、この地に帰って来ることができるであろう。あなたたちの神、主は恵みと憐れみに満ちておられ、そのもとにあなたたちが立ち帰るなら、御顔を背けられることはない。
2500年前、イスラエルの民はバビロニア王国に国を滅ぼされ、多くの人びとが王国の都バビロンに連れて行かれ、捕囚(ほしゅう)の身になりました。これがバビロン捕囚です。
神さまは、連れて行かれずにエルサレムに残った人びとに向かって、ご自分に立ち返るように呼びかけました。
すると、その数十年後、捕囚の民は解放され、エルサレムに帰って来ることができました。
ご自分に立ち帰るように呼びかけてくださる、そして、連れ去られた人びとを故郷に連れ帰ってくださる、これが、神さまの「恵みと憐み」です。
今日も、神さまに立ち帰ることから始めましょう。そうすれば、神さまはわたしたちをご自分のもとに引き寄せて、恵みと憐みの一日を歩ませてくださいます。
2023年6月2日 金曜日
おはようございます。
今日も、夜は明け、朝となり、わたしたちは、光の中にいます。
エフェソの信徒への手紙5:8 あなたがたは、以前には暗闇でしたが、今は主に結ばれて、光となっています。光の子として歩みなさい。5:9 ――光から、あらゆる善意と正義と真実とが生じるのです。――
わたしたちの心は、そして、わたしたち自身も、以前は暗闇でしたが、光である神さまに結ばれて、神さまという光に照らされて、今は、神さまという大きな光を反射した小さな光にしていただいています。
太陽の光を受けた水面のきらめきのように。
ですから、わたしたちは、神さまの子として、光の子として、神さまの光を反射した光として、今日も歩みましょう。
神さまから、善意と正義と真実・・・これらはみな神さまのお心です・・・をいただいていますから、それを反射して、わたしたちも、善意と正義と真実を放つことができますようにと祈りつつ、歩みましょう。
2023年6月1日 木曜日
おはようございます。
今日も、イエス・キリストのお言葉とともに歩みましょう。
ヨハネによる福音書8:31 わたしの言葉にとどまるならば、あなたたちは本当にわたしの弟子である。
イエス・キリストのお言葉とは、
ひとつは、イエス・キリストはわたしたちを愛してくださる、というお言葉です。
もうひとつは、イエス・キリストに支えられて、わたしたちも隣人を愛しましょう、というお言葉です。
イエス・キリストの、この愛の言葉を胸に抱くとき、
今日も、わたしたちは、イエス・キリストの教え子としていただくのです。
2023年5月31日 水曜日
おはようございます。
たとえ、今日、わたしたちが屈(かが)みこんでしまうようなことがあっても、
神さまは、わたしたちを見つけ出し、手を差し伸べ、立ち上がらせてくださいます。
詩編40:18 主よ、わたしは貧しく身を屈めています。わたしのためにお計らいください。あなたはわたしの助け、わたしの逃れ場。わたしの神よ、速やかに来てください。
詩編の詩人のこの祈りにこたえて、イエス・キリストはこう言われます。
ルカ15:4 あなたがたの中に、百匹の羊を持っている人がいて、その一匹を見失ったとすれば、九十九匹を野原に残して、見失った一匹を見つけ出すまで捜し回らないだろうか。
わたしたちが座り込んでしまい、追いつけなくなってしまっても、神さまは、わたしたちのところにまでお越しくださいます。
このように神さまこそがわたしたちの助けであり、わたしたちを守る安息の場になってくださいます。
2023年5月30日 火曜日
おはようございます。
主は、道のないところにも道を創ってくださいます。
イザヤ書63:12 主は輝く御腕をモーセの右に伴わせ/民の前で海を二つに分け/とこしえの名声を得られた。63:13 主は彼らを導いて淵の中を通らせられたが/彼らは荒れ野を行く馬のように/つまずくこともなかった。
モーセらイスラエルの民の前に進む道はありませんでしたが、神さまは海をふたつにわけて、道を創ってくださいました。
世界を創造された神さまは、わたしたちが今日歩く道をも創造してくださいます。
イスラエルの民が海の中の危険な道を無事にわたることができたように、わたしたちが人生の険しい道を進むときも、神さまはわたしたちを守り続けてくださいます。
たとえ、わたしたちがどのように歩いたらよいのかわからなくても、今日、神さまは、わたしたちの前に一本の道を引いてくださいます。
神さまがみちびいてくださいますから、わたしたちは恐れずに、今日の歩みを始めましょう。
2023年5月29日 月曜日
おはようございます。
今週も、今日も、神さまのお言葉に導かれて、ともに歩みましょう。
詩編97:10 主を愛する人は悪を憎む。主の慈しみに生きる人の魂を主は守り/神に逆らう者の手から助け出してくださる。97:11神に従う人のためには光を/心のまっすぐな人のためには喜びを/種蒔いてくださる。
悪はつねにわたしたちを誘いますが、神さまの慈しみもいつもわたしたちを導いてくださいます。
わたしたちは、悪ではなく、神さまの慈しみに導かれましょう。
そうすれば、わたしたちの道は神さまの光に照らされますし、わたしたちの心には喜びが育ちます。
自分の欲望に適うことによってではなく、神さまの慈しみを思い出すことによってこそ、 わたしたちの心は満たされるのです。
肉の思いではなく、霊の導きにこそ、神さまの愛のお心にこそ、わたしたちを委ねましょう。
2023年5月28日 主日(日曜日)
おはようございます。
新しい週が始まります。
神さまに導かれて、ともに歩みましょう。
ヨハネによる福音書9:2 弟子たちがイエスに尋ねた。「ラビ、この人が生まれつき目が見えないのは、だれが罪を犯したからですか。本人ですか。それとも、両親ですか。」9:3 イエスはお答えになった。「本人が罪を犯したからでも、両親が罪を犯したからでもない。神の業がこの人に現れるためである。
わたしたちが苦しんでいても、それは、神さまから罰を受けているのではありません。
むしろ、そのように、理由のわからない苦しみによって二重に苦しんでいるわたしたちを、 神さまは憐れんでくださいます。
それは優越感による見下しとは全く違います。
神さまは、わたしたちの苦しみを、ご自分の苦しみとして、ともに深く苦しんでくださるのです。
それが神さまの業です。
神さまの業は憐みの業です。
わたしたちは神さまから呪(のろ)われているのではありません。
はんたいに、愛され、祝福されているのです。
わたしたちひとりひとりの上に神さまの愛の業、憐みの業、いのちの業 インマヌエル(神さまがともにおられる)の業が現われます。
それが、ペンテコステ、聖霊降臨日なのです。
2023年5月27日 土曜日
おはようございます。
今日はどんな一日になるでしょうか。
うれしい一日になることと信じますが、
たとえ悲しみが訪れても、
イエス・キリストがともに悲しんでくださいます。
ヨハネによる福音書11:33 イエスは、彼女が泣き、一緒に来たユダヤ人たちも泣いているのを見て、心に憤りを覚え、興奮して、11:34 言われた。「どこに葬ったのか。」彼らは、「主よ、来て、御覧ください」と言った。11:35 イエスは涙を流された。
兄弟ラザロが天に召されその姉妹マリアが泣いているのを見て、
イエス・キリストは、心を強く動かされ、
ともに涙を流してくださいます。
わたしたちの人生にたとえ何が起こっても、
イエス・キリストがともにいて、
わたしたちの喜びも哀しみも
すべて よくわかってくださるのです。
2023年5月26日 金曜日
おはようございます。
あれがうまくいっていない、
とわたしたちはすぐに悲観してしまいますが、
それでも、わたしたちは、
神さまの恵みに生かされているのです。
コリントの信徒への手紙15:10 神の恵みによって今日のわたしがあるのです。そして、わたしに与えられた神の恵みは無駄にならず、わたしは他のすべての使徒よりずっと多く働きました。しかし、働いたのは、実はわたしではなく、わたしと共にある神の恵みなのです。
たとえ、わたしたちの人間的な思いは満たされていなくても、
じつは、神さまの恵み、聖霊は、わたしたちを満たしてくださっているのです。
パウロは、聖霊に促されて、働きました。
人より多く働く必要はありません。
わたしたち自身で働くより、
聖霊が働いてくださる方が、
ずっと多く働けるのです。
ずっとよく生かされるのです。
自分の力や想いではなく、
聖霊の恵みに導かれて、
今日一日も、
いのちの働きに、 お委ねいたしましょう。
2023年5月25日 木曜日
おはようございます。
神さまから見捨てられた者としてではなく、
神さまがともにいらしてくださる者として、
歓びと愛をもって、
今日も歩みましょう。
ローマの信徒への手紙8:1 キリスト・イエスに結ばれている者は、罪に定められることはありません。8:2 キリスト・イエスによって命をもたらす霊の法則が、罪と死との法則からあなたを解放したからです。
キリストにつながっている者は、命をもたらされた者です。
キリストにつながっていない者は、死にある者です。
言い換えますと、
生きているとはキリストにつながっていることであり、
死んでいるとはキリストにつながっていないことです。
わたしたちは、
自らは、
神さまやキリストから離れてしまう罪人ですが、
キリストからは、
キリストが手を握って離さないキリストに結ばれた者です。
「罪にさだめられることはありません」とはこういう意味ではないでしょうか。
罪人であるけれども、
キリストから見放されず、
キリストにつながっている、
そのような者としては、わたしたちは、
下を向いて死んだようにではなく、
上を向いて、天に顔を向けて、
生かされている者として、
今日も歩みましょう。
2023年5月24日 水曜日
おはようございます。
今日も神さまの御言葉がわたしたちを導いてくださいます。
哀歌2:19 立て、宵の初めに。夜を徹して嘆きの声をあげるために。主の御前に出て/水のようにあなたの心を注ぎ出せ。両手を上げて命乞いをせよ/あなたの幼子らのために。彼らはどの街角でも飢えに衰えてゆく。
ひとりひとり美しい名前を持っている子どもたちですが、 ウクライナなど、戦争や貧困で、子どもたちの生活と生命が 大きく傷ついています。
この子どもたちのことを忘れてはならない、
この子どもたちのために 「水のように心を注ぎだして」祈るようにと、
神さまは導いてくださいます。
神さま、 どうか、子どもたちひとりひとりの 人生がゆたかでありつづけますように。
子どもたちひとりひとりの顔と名前を わたしたちがていねいに想像することができますように、 どうぞ、わたしたちの心と祈りをお導きください。
2023年5月23日 火曜日
おはようございます。
神さまは、今日も私たちの光となってくださり、 暗いトンネルを抜け出させてくださいます。
詩編18:29 主よ、あなたはわたしの灯を輝かし/神よ、あなたはわたしの闇を照らしてくださる。18:30 あなたによって、わたしは敵軍を追い散らし/わたしの神によって、城壁を越える。
神さまは、わたしたちのろうそくに火をともしてくださいます。
わたしたちのたいまつになってくださいます。
闇夜を真昼にしてくださいます。
どんなに高いハードルであっても 神さまが乗り越えさせてくださいます。
神さまが光となり、翼となってくださいますから、 今日も、目の前に伸びる道へと踏み出しましょう。
2023年5月22日 月曜日
おはようございます。
神さまは、わたしたちに本当にゆたかなものをくださっています。
そのことへの感謝の気持ちで、今日も、今週も歩みましょう。
歴代誌29:13 わたしたちの神よ、今こそわたしたちはあなたに感謝し、輝かしい御名を賛美します。29:14 このような寄進ができるとしても、わたしなど果たして何者でしょう、わたしの民など何者でしょう。すべてはあなたからいただいたもの、わたしたちは御手から受け取って、差し出したにすぎません。
タビデは神殿を建て、神さまに捧げましたが、それで、自分を誇りませんでした。
すべては神さまからいただいたものと感謝し、それを神さまにお返ししたのです。
わたしたちのいのちも、人生も、
わたしたちの今日も、今週も、
神さまにいただいたものです。
それを感謝して、神さまにお返しするような生き方を祈り求めましょう。
何も立派なことをするということではなく、
ありがたさをかみしめながら、
一瞬一瞬を、大切に、ていねいに
生きることができますように
と祈り求めましょう。
2023年5月21日 主日(日曜日)
おはようございます。
わたしたちは、ひとりのようで、ひとりではありません。
わたしたちには、神さまがおられ、神さまの家族がいます。
ヨハネによる福音書19:26 イエスは、母とそのそばにいる愛する弟子とを見て、母に、「婦人よ、御覧なさい。あなたの子です」と言われた。19:27 それから弟子に言われた。「見なさい。あなたの母です。」そのときから、この弟子はイエスの母を自分の家に引き取った。
イエスさまは、ご自分が十字架で息を引き取る直前に、このように言われました。
残される弟子と母に、おたがいに家族、神さまの家族として生きなさい、と言われるのです。
これは、「 わたしがあなたがたを愛したように、互いに愛し合いなさい。」というイエスさまのお言葉と同じ意味ではないでしょうか。
神さまがわたしたちを愛してくださいます。
だから、わたしたちのたがいに愛しあいましょう。
神さまがわたしたちを愛してくださいます。
だから、わたしたちは、神さまの家族として生きましょう。
今日は、深沢教会は、家族の日礼拝です。
2023年5月20日 土曜日
おはようございます。
今朝も、神さまがわたしたちに愛の霊を吹き込んでくださいます。
今日も、神さまの霊に満たされて、ともに歩みましょう。
創世記2:7 主なる神は、土(アダマ)の塵で人(アダム)を形づくり、その鼻に命の息を吹き入れられた。人はこうして生きる者となった。
テモテへの手紙二1:7 神は、「おくびょうの霊ではなく、力と愛と思慮分別の霊」をわたしたちにくださったのです。1:8 だから、わたしたちの主を証しすることも、わたしが主の囚人であることも恥じてはなりません。むしろ、神の力に支えられて、福音のためにわたしと共に苦しみを忍んでください。
神さまがわたしたちに吹き込んでくださった息は、勇気と愛の霊なのです。
イエス・キリストを証しするときや、イエス・キリストに捕らえられて生きるとき、
あるいは、わたしたちの人生のどんな場面においても、
たとえ困難や苦しみがあっても、
神さまがくださった勇気と愛の霊が、
わたしたちを導き、支えてくださいますから、
今日も、恐れることなく、この道をあゆみましょう。
2023年5月19日 金曜日
おはようございます。
たとえ、今、わたしたちが厳しい状況にあっても、神さまはかならずそこから救い出してくださいます。
ハバクク書3:17 いちじくの木に花は咲かず/ぶどうの枝は実をつけず/オリーブは収穫の期待を裏切り/田畑は食物を生ぜず/羊はおりから断たれ/牛舎には牛がいなくなる。3:18 しかし、わたしは主によって喜び/わが救いの神のゆえに踊る。3:19 わたしの主なる神は、わが力。わたしの足を雌鹿のようにし/聖なる高台を歩ませられる。
「しかし」の前と後ろでは、まったく違います。
「しかし」の前は、マイナスの世界です。
「しかし」の後は、プラスの世界です。
マイナスをプラスに変えてくださったのは、神さまご自身です。
神さまが、「しかし」になり、マイナスをプラスにしてくださったのです。
しかも、これは、マイナスがやがてプラスになった、ということとは限りません。
マイナスとプラスが、今、重なっているのです。
花はない、果実もない、収穫がない、わたしたちには何もないように思えても、 じつは、今、神さまがおられるのです。
今、神さまの喜びがあるのです。
何もないときでも、神さまは、今おられ、わたしたちの力となってくださいます。
神さまが、わたしたちの足となってくださり、 今日も、わたしたちを歩ませてくださいます。
2023年5月18日 木曜日
おはようございます。
今日も暑くなるようですが、神さまが木陰をもたらしてくださいますように。
ルカによる福音書1:38 マリアは言った。「わたしは主の仕え人です。お言葉どおり、この身に成りますように。」
聖霊によって子どもを授かり、その子が「神の子」と呼ばれる。 自分が考えもしなかったこと、そして、自分にはとうていできそうもないことを告げられ、マリアの心は乱れます。
しかし、けっきょくは、「わたしは神さまにお仕えいたします。神さまのお言葉通りのことが、わたしに起こりますように」と受け入れます。
これは、無理をすることではなく、むしろ、自分の弱さ、自分の限界を謙虚に認めつつ、主に委ねていくことでありましょう。
神さまにお仕えすることは、自分を酷使することでも、酷使されることでもなく、はんたいに、力を抜いて、神さまの御手にお任せすることなのです。
静かな祈りにおいて、心身の重みをすべて神さまにお預けして、今日も、かろやかに歩みましょう。
2023年5月17日 水曜日
おはようございます。
神さまがご自身のすべての力でわたしたちを愛してくださいますから、
わたしたちも今日という日を100%信頼しながら、
心を込めて、ともに歩みましょう。
マタイによる福音書22:37 イエスは言われた。「『心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くして、あなたの神である主を愛しなさい。』22:38 これが最も重要な第一の掟である。
まず、神さまが、心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くし、
すなわち、神さまご自身のすべてをもって、
わたしたちを愛してくださいますから、
それに感謝して、それにお応えして、
神さまと隣人を、
なんとなくではなく、適当にでもなく、
心を込めて、わたしたちのすべてを傾けて、
愛することができますようにと、
誠実に、お祈りいたしましょう。
2023年5月16日 火曜日
おはようございます。
神さまがともにおられ、神さまがお支えくださいますから、 今日も、ともに歩みましょう。
箴言31:30 あでやかさは欺き、美しさは空しい。主を畏れる女こそ、たたえられる。
女性に限らず、人間にとって大切なことは、優雅さや美しさではなく、 神さまを畏れることである、と聖書は言うのです。
では、神さまを畏れるとは、どういうことでしょうか。
これは、神さまを恐(こわ)がることではありません。
神さまからの罰が怖くて仕方がない、 何とか神さまからの罰を受けないようにしようと、 おびえて過ごすことではありません。
神さまを畏れるとは、
神さまは、わたしをはるかに超えたお方であり、
いや、そもそもわたしと比べることのできないお方であり、
圧倒的な愛に満ちた、愛そのもの、
圧倒的ないのちに満ちた、いのちそのもの
であるお方であることを知り、
その神さまが、
わたしとわたしの生きる世界を創ってくださり、
今日もお支えくださるこの恵み、この奇跡に、
ただただ感謝し、 ただただお委ねすることです。
このような意味で、神さまを畏れることこそが、
わたしたちの喜びである、 と聖書は教えてくれるのです。
今日も、神さまにひれ伏しながら、
同時に、 神さまの手によって起こされて、
この道をともに歩きましょう。
2023年5月15日 月曜日
おはようございます。
神さまは、何も条件を求めずに、わたしたちをそのまま愛してくださいます。
この神さまの愛を、わたしたちは、恵み、と呼びます。
ローマの信徒への手紙3:23 人は皆、罪を犯して神の栄光を受けられなくなっていますが、3:24ただキリスト・イエスによる贖いの業を通して、神の恵みにより無償で義とされるのです。
わたしたちは、自分のことだけしか考えず、神さまや人から心が離れ、神さまに愛される資格があるとは言えないのですが、それにもかかわらず、神さまは、わたしたちに何も求めず、無条件に愛してくださいます。
わたしたちは、自分など誰からも愛されない、神さまからも愛されない、と思ってしまうのですが、じつは、神さまは、わたしたちを深く、深く愛してくださいます。
それがイエス・キリストです。
ヨハネによる福音書3:16 神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。
神さまは、独り子イエス・キリストを、わたしたちと同じ世界に誕生させ、そのイエス・キリストがわたしたちのために十字架にかかってくださるほどに、わたしたちを、誰一人残すことなく、愛してくださっておられるのです。
イエス・キリストが神さまの愛を注いでくださいますから、この愛に満たされて、今日も恵みの内にゆたかに歩みましょう。
2023年5月14日 主日(日曜日)
おはようございます。
今週も神さまが導いてくださいます。
ともに歩みましょう。
マタイによる福音書5:4 悲しむ人々は、幸いである、その人たちは慰められる。
悲しんでいる人びとがなぜ幸いなのでしょうか。
わたしたちのこの悲しみは永久ではなく、やがて、慰められるからです。
エレミヤ31:13 わたしは彼らの嘆きを喜びに変え、彼らを慰め、悲しみに代えて喜び祝わせる。
神さまは、わたしたちの嘆きと悲しみを喜びに変えてくださいます。
ですから、今の嘆きと悲しみにも、きっと意味があるのです。
ローマの信徒への手紙5:3 そればかりでなく、苦難をも誇りとします。わたしたちは知っているのです、苦難は忍耐を、5:4忍耐は練達を、練達は希望を生むということを。
神さまは、わたしたちが苦しみに耐える力になってくださいます。
そして、耐えながらも苦しみの道を歩きぬかせてくださいます。
ここを乗り越えることができる、
この悲しみは喜びに変わる、
という希望に、神さまはなってくださるのです。
この希望を胸に、今週もともに歩みましょう。
2023年5月13日 土曜日
おはようございます。
いつもと変わらないように思えても、今日という日は、じつは、神さまがお造りくださった特別な日です。
ですから、神さまに感謝して、この日を大切に生きましょう。
コヘレトの言葉9:10 何によらず手をつけたことは熱心にするがよい。いつかは行かなければならないあの陰府には/仕事も企ても、知恵も知識も、もうないのだ。
どんなことであっても、今日することは、ひとつひとつ、丁寧に、大事に、心をこめて、いたしましょう。
2023年5月13日土曜日の朝の散歩は、生涯でたった一度のことです。
2023年5月13日土曜日の夕べの祈りも、他の日時とは違う特別な祈りです。
わたしたちが経験する一瞬一瞬は、神さまがわたしたちのためにお創りくださった、特別な一瞬、大切な一瞬です。
神さまが用意してくださった特別な一秒一秒を、特別な感謝を持って、いただきましょう。
2023年5月12日 金曜日
おはようございます。
たとえ、今痛みや苦しみを抱えていても、それは、やがて癒されます。
また、それまでの間も、神さまが支えてくださいます。
ヘブライ人への手紙10:32 あなたがたは、光に照らされた後、苦しい大きな戦いによく耐えた初めのころのことを、思い出してください。10:33 あざけられ、苦しめられて、見せ物にされたこともあり''''・・・
この手紙を読む人びとは、あざけられたり、苦しめられたり、見せ物にされたり、非常に大きな苦しみを経験しました。
それは、信仰ゆえの苦しみであったと思われます。
わたしたちも、信仰に直接かかわる苦しみや、信仰に直接関わるわけではないけれども大きな痛みを受けることがあります。
そのとき、わたしたちはどうしたらよいのでしょうか。
10:34自分がもっとすばらしい、いつまでも残るものを持っていると知っているので、財産を奪われても、喜んで耐え忍んだのです。
たとえ財産を奪われても、これまでの人生の何かをなくしても、「いつまでも残るもの」「もっとすばらしい」ものとは何でしょうか。
それは、神さまとイエス・キリストへの信仰であり、そこからもたらされる希望であり、そして、何よりも、神さまとイエス・キリストが聖霊によって今わたしたちに降り注いでくださる愛のことでしょう。
この「もっとすばらしい、いつまでも残る」お方が、今日もわたしたちとともにいてくださいます。
主である神さま、イエス・キリストとともに、隣人とともに、信仰の友とともに、友の祈りとともに、今日も歩みましょう。
2023年5月11日 木曜日
おはようございます。
今日も、わたしたちの神さまがともにいらしてくださり、かぎりない慈しみで、わたしたちを支えてくださいます。
ペトロの手紙一2:10 あなたがたは、「かつては神の民ではなかったが、今は神の民であり、憐れみを受けなかったが、今は憐れみを受けている」のです。
わたしたちが「神の民」であるということは、神さまは、どこかの神さまではなく、まさに、わたしたちの神さまであるということです。
「今は憐みを受けている」とは、その神さまが、今日、この瞬間、わたしたちを慈しんでくださり、わたしたちを愛してくださり、わたしたちの主となってくださり、わたしたちを導いてくださる、ということです。
神さまの憐みはまことの憐みであり、人間が自分より下と見なす相手に気まぐれに何かを施す偽りの憐みとはまったく違います。
神さまは、わたしたちの神さまになってくださり、わたしたちを本当の意味で憐れんでくださいます。
この神さまを信頼し、この神さまにお仕えして、今日の道のりを、ともに歩みましょう。
2023年5月10日 水曜日
おはようございます。
復活されたイエス・キリストが、目には見えませんが、今日もあなたと共におられることを信じて、感謝いたします。
ヨハネによる福音書15:15 もはや、わたしはあなたがたを僕とは呼ばない。僕は主人が何をしているか知らないからである。わたしはあなたがたを友と呼ぶ。
イエス・キリストはわたしたちの主(主人)でいらっしゃるにもかかわらず、わたしたちを僕(しもべ)と呼ばない、つまり、使用人扱いなさらないのです。
むしろ、友と呼んでくださるのです。
わたしたちがイエス・キリストから「友」と呼んでいただくことは、
イエス・キリストもわたしたちの「友」になってくださった、ということです。
讃美歌に「いつくしみ深き 友なるイエスは」とあるとおりです。
目には見えませんが、主であり、友であるイエス・キリストがともに歩んでくださいます。
主として、わたしたちの前を歩んでくださり、
友として、わたしたちと並んで歩いてくださいます。
2023年5月9日 火曜日
おはようございます。
今日も、イエス・キリストがともにいらしてくださいますので、神さまの御心にしたがうことを、強く祈り求めて歩みましょう。
エフェソの信徒への手紙6:10 最後に言う。主に依り頼み、その偉大な力によって強くなりなさい。6:11 悪魔の策略に対抗して立つことができるように、神の武具を身に着けなさい。
人をやっつけてやろう、自分がやっつけられたら相手をやりかえそう、自分をすごいと思わせよう、人にほめられたい、自分さえよければよい。
わたしたちをこのようにさせる力は非常に大きなものです。
わたしたち自身の力では、とうていこれに打ち勝つことはできません。
けれども、わたしたちが「悪より救い出したまえ」と、主により頼めば、 神さまはその「偉大な力」で、わたしたちを「悪魔の策略」から、たしかに守ってくださいます。
神さまは、愛とは正反対のところに引きずり込もうとする集中攻撃から、わたしたちを防御する武具になってくださいます。
ですから、わたしたちは、今日も、憎しみではなく、神さまの愛に添って歩むことができるのです。
2023年5月8日 月曜日
おはようございます。
わたしたちには、何にもまさるマスター、すなわち「主」がおられます。
イエス・キリストこそが、わたしたちの「主」です。
フィリピの信徒への手紙2:9 このため、神はキリストを高く上げ、あらゆる名にまさる名をお与えになりました。2:10 こうして、天上のもの、地上のもの、地下のものがすべて、イエスの御名にひざまずき、2:11 すべての舌が、「イエス・キリストは主である」と公に宣べて、父である神をたたえるのです。
神さまはキリストを他のあらゆるものよりも高いところに置かれました。
キリストは世界中のあらゆるものを治めてくださる主なのです。
自分の中には頼るものを何一つ持たないわたしたちのために、イエス・キリストは、わたしたちの主になってくださったのです。
イエス・キリストが主になってくださったのですから、わたしたちは何があっても、恐れることはありません。
たとえ、恐れるようなことが起こり、心身が震えても、イエス・キリストがわたしたちの主になってくださったのですから、わたしたちは今日のこの道も歩むことができます。
2023年5月7日 主日(日曜日)
おはようございます。
新しい週の始まりです。
主がこの新しい時をわたしたちのために創ってくださいました。
そして、この新しい時を、主がともに歩んでくださいます。
なんという恵みでしょうか。
深く感謝いたします。
イザヤ書41:10 恐れることはない、わたしはあなたとともにいる神。たじろぐな、わたしはあなたの神。勢いを与えてあなたを助け、わたしの救いの右の手であなたを支える。
「恐れるな、恐れなくても大丈夫!」 と神さまはわたしたちに言ってくださいます。
なぜなら、 「わたしはあなたとともにいる神、わたしはあなたの神」 であるからと。
「あなた」
神さまはわたしたちを「あなた」と呼んでくださいます。
今日一日、今週一週間を生きる力をくださり、 神さまは「あなたを助ける」と言ってくださいます。
「救いの右の手であなたを支える」と。
たとえ空は晴れず暗雲がたちこめていても、
「わたしはあなたとともにいる」
と 神さまは宣言してくださいます。
神さまは、今日も、わたしたちとともにいてくださいます。
神さまは、今日も、友らとともにいてくださいます。
2023年5月6日
おはようございます。
今日も、インマヌエルの主が、あなたとともにおられますように。
(インマヌエルとは「神さまがわたしたちとともにいます」という意味の聖書の言葉、「主」とは神さまのことです)
テサロニケの信徒への手紙二3:5 どうか、主が、あなたがたに神の愛とキリストの忍耐とを深く悟らせてくださるように。
「忍耐」と聞くと、ほんとうは相手に対して怒りたいのに歯を食いしばってがまんしているような姿を思い浮かべないでしょうか。
わたしたちが「忍耐する」ときは、内心は相手を責めたいのに、それを抑えているのではないでしょうか。
けれども、キリストの忍耐はそのような忍耐ではありません。 キリストの忍耐は、いつくしみそのものです。
キリストの忍耐は、内側では怒りながらもそれを言動にあらわさないような忍耐ではなく、怒りを受けるべきわたしたちを、心の奥底から、慈愛にあふれるまなざしで、受け入れ、理解し、愛し、赦してくださる忍耐なのです。
この神さまの愛とキリストの忍耐が、わたしたちを満たしてくださいますから、わたしたちも、恐れることなく、むしろ、愛と慈しみを胸に抱いて、今日もともに歩みましょう。
2023年5月5日
おはようございます。
今日も、主イエス・キリストがともにおられ、光を浴びせてくださいますから、平安に歩みましょう。
ヨハネの手紙一2:9 「光の中にいる」と言いながら、兄弟を憎む者は、今もなお闇の中にいます。2:10 兄弟を愛する人は、いつも光の中におり、その人にはつまずきがありません。
この「光」は、イエス・キリストのことです。
ヨハネによる福音書1:4 言の内に命があった。命は人間を照らす光であった。1:5 光は暗闇の中で輝いている。暗闇は光を理解しなかった。1:9 その光は、まことの光で、世に来てすべての人を照らすのである。
もし、わたしたちが「光の中にいる」「イエス・キリストがともにおられる」と言いながら、誰かを傷めつけるのであれば、矛盾しています。そこは光ではなく闇です。
はんたいに、誰かを気遣い、平和に接するのであれば、わたしたちは光の中におり、「イエス・キリストがともにおられる」という言葉に誠実なのです。
誰かを傷つけることは闇ですが、誰かを愛することは光です。
イエス・キリストは、わたしたちをまことに愛してくださる、まことの光です。
このイエス・キリストが、今日も、わたしたちの歩く道を照らしてくださいます。
2023年5月4日
おはようございます。
イエス・キリストが、今日も、あなたとともにおられます!
ペトロの手紙二 3:10 主の日は盗人のようにやって来ます。3:12 神の日の来るのを待ち望み、また、それが来るのを早めるようにすべきです。3:13 わたしたちは、義の宿る新しい天と新しい地とを、神の約束に従って待ち望んでいるのです。3:14 だから、愛する人たち、このことを待ち望みながら、きずや汚れが何一つなく、平和に過ごしていると神に認めていただけるように励みなさい。
いつかこの世界全体が神さまの国になる日が訪れる、と御言葉は約束してくださいます。わたしたちはその日を待ち望んでいます。
けれども、わたしたちは、今日すでにその日が来たように生きることもできるのです。
上の御言葉の中に「義」と「平和」とありますが、義とは神さまの慈しみ、平和とはそれに基づくわたしたちのまことのことです。
詩編85:11 慈しみとまことは出会い、正義と平和は口づけし、85:12 まことは地から萌えいで、正義は天から注がれます。
わたしたちは、今日、すでに、神さまの慈しみに感謝しながら、出会う人びとに、平和に、まことに接することができるのです。
わたしたちが敬意と労わりをもって人と交わるように心がければ、神さまの国が来る日が早まるのではないでしょうか。
2023年5月3日
おはようございます。
誰かに寄り添うようなことをしても、その周りの人には悪く思われてしまい、悲しい思いをしたことはありませんか。 イエスさまも同じような経験をなさいました。
マタイ8:32 イエスが、「行け」と言われると、悪霊どもは二人から出て、豚の中に入った。すると、豚の群れはみな崖を下って湖になだれ込み、水の中で死んだ。8:33 豚飼いたちは逃げ出し、町に行って、悪霊に取りつかれた者のことなど一切を知らせた。8:34すると、町中の者がイエスに会おうとしてやって来た。そして、イエスを見ると、その地方から出て行ってもらいたいと言った。
苦しむ人から悪霊を追い出したのですが、ほかの人びとからは恐ろしがられたり迷惑がられたりして、イエスさまはその地方から追い出されてしまったのです。
誰かを愛するということは、その人の苦しみをわかちあうことでもあります。
誰かを愛すれば、その人の苦しみがわたしたちをも襲ったり、その人を苦しめるものがわたしたちにも向けられたりすることもあります。
けれども、まさに、イエスさまが、わたしたちを愛し、わたしたちとともに苦しんでくださるのです。
2023年5月2日
おはようございます。
サムエル記上16:7 しかし、主はサムエルに言われた。「容姿や背の高さに目を向けるな。わたしは彼を退ける。人間が見るようには見ない。人は目に映ることを見るが、主は心によって見る。」
わたしたちは人の外見を観ますが、神さまは、わたしたちの心を見る、と言ってくださいます。
それは、心が美しいか、信仰が深いか、を見る、という意味だけではない、と思われます。
創世記2:7 主なる神は、土(アダマ)の塵で人(アダム)を形づくり、その鼻に命の息を吹き入れられた。人はこうして生きる者となった。
イザヤ43:4 わたしの目にあなたは価高く、貴く、わたしはあなたを愛している
神さまは、ご自身がわたしたちの中に吹き入れてくださった命の息、すなわち、霊を見てくださり、それが貴い、とおっしゃってくださるのです。
わたしたちは自分や人を、優れている/劣っている、正しい/正しくない、善い/悪い、で見ますが、神さまは、そうではありません。
神さまの目から見れば、どんなわたしたちの中にも、神さまからの命の息があり、神さまはそれを喜んでくださるのです。
2023年5月1日
おはようございます。今週も、主に支えられ、主に導かれて、歩みましょう。
フィリピの信徒への手紙2:3 何事も利己心や虚栄心からするのではなく、へりくだって、互いに相手を自分よりも優れた者と考え、2:4 めいめい自分のことだけでなく、他人のことにも注意を払いなさい。
2:6 キリストは、神の身分でありながら、神と等しい者であることに固執しようとは思わず、2:7 かえって自分を無にして、僕の身分になり、人間と同じ者になられました。
昨日、賛美奉仕者連絡会が開かれ、奉仕者のさまざまな思いがわかちあわれました。何かひとつだけを正しいものとしてしまわないで、それぞれの考えや気持ちを尊重して、ともに賛美に奉仕することが確認されたように感じました。すばらしいことです。
パウロは、利己心や虚栄心を横に置いて、自分を低くして、おたがいに相手を尊重し、心を配るように、奨めています。
その理由は、キリストが、わたしたちに対してそうしてくださったからです。
キリストは、「神」というご自分のお姿にしがみつかず、むしろ「人間」であるわたしたちと同じところまで降りてきてくださいました。わたしたちの僕になってくださったのです。
それが、キリストのご降誕と十字架の意味です。
わたしたちも、自分は自分はと、自分に固執せず、むしろ、相手に仕える者になりたい、神さま、わたしをそのように導いてください、と祈ります。
2023年4月30日
おはようございます。新しい週が始まりました。
コリントの信徒への手紙二13:11終わりに、兄弟たち、喜びなさい。初心に帰りなさい。励まし合いなさい。思いを一つにしなさい。平和を保ちなさい。そうすれば、愛と平和の神があなたがたと共にいてくださいます。
パウロはわたしたちに「初心に帰りなさい」と勧めます。キリストを信じる者の初心とは、どのような心のことでしょうか。それは、「喜ぶ」「励まし合う」「思いを一つにする」「平和を保つ」ことです。
「そうすれば、愛と平和の神があなたがたと共にいてくださいます」とありますが、逆もまた真なり。本日の北川善也牧師の説教題「わたしがあなたがたを選んだ」の通り、まず、神さまがわたしたちに近づいてきてくださったのです。
ヨハネによる福音書 15:16 あなたがたがわたしを選んだのではない。わたしがあなたがたを選んだ 神さまがわたしたちを選んでくださった。
つまり、神さまの方からわたしたちのところに来てくださったのです。そのとき、神さまがくださったものが「喜び」「励まし」「一つの思い」「平和」だったのではないでしょうか。
今日の主日礼拝で、神さまがくださったこの「初心」をあらためていただいて、それを胸に、今週一週間も、ともに歩みましょう。
2023年4月29日
コリントの信徒への手紙一10:13 あなたがたを襲った試練で、人間として耐えられないようなものはなかったはずです。神は真実な方です。あなたがたを耐えられないような試練に遭わせることはなさらず、試練と共に、それに耐えられるよう、逃れる道をも備えていてくださいます。
試練という言葉には「信仰・決心の堅さや実力などを試すこと。また、その時に受ける苦難」という意味がありますが、信仰者にとっては、試練は、「試し」以上に「神さまがわたしたちを練り上げてくださる」ことではないでしょうか。
苦しみは、神さまがわたしたちの信仰を試すためのもの、と受け止めることで、乗り越えることも可能となると言われますが、あるいは、このようにも考えられます。
すなわち、苦しみは、人間が受けるだけですと、苦しみに過ぎませんが、神さまは苦しみにある人間とともにいてくださり、それを潜り抜ける力を与えてくださり、そのことで、わたしたちは成長させていただくから、苦しみは神さまからの試練でもあるのだと。
つまり、苦しみの中にあるときでも神さまが支えてくださると知るとき、苦しみは神さまのわたしたちへのレッスンになるのです。
2023年4月28日
おはようございます。今日は菊地智子姉の召天式です。天での平安、地での慰めを信じて、お祈りいたしましょう。
使徒言行録1:8 あなたがたの上に聖霊が降ると、あなたがたは力を受ける。そして、エルサレムばかりでなく、ユダヤとサマリアの全土で、また、地の果てに至るまで、わたしの証人となる。
イエス・キリストは、わたしたちがキリストの「証人となりなさい」ではなく、「証人となる」と言われます。わたしたちは主の証人となることができるし、じっさいそうなると、約束してくださるのです。
たとえば、夕べの智子姉の前夜式、ご家族は喜んでくださいました。それは、神さまの御言葉がそこにあり、イエス・キリストご自身がそこにおられ、智子姉の人生、そして、わたしたち深沢教会に集う者の呼吸から、神さまの愛が伝わったからではないでしょうか。