私たちは聖書を信じるプロテスタントの教会です。          【教会目標】 キリストの愛が満ち 福音宣教に生きる教会

2016年3月13日 「ただ、信じるだけで良いのです」

2016年3月13日 「ただ、信じるだけで良いのです」



【聖 書】ルカによる福音書8章40~56節


【説 教】齋藤 篤牧師


【説教要旨】


一刻も早く。私たちが願うことに対しては、このような感情を抱くのは決して不思議ではありません。
 イエスのもとを訪れたヤイロという人物がまさにそうでした。娘が死にかかっていたからです。病気を癒すことができると評判のイエスに、彼は直談判します。娘を一刻も早く助けてくださいと。
 しかし、ヤイロの願い通りにはなりませんでした。せっかくイエスが一緒に家に向かってくださるというのに、たちまちイエスは大群衆に取り囲まれます。イエスを求める者はヤイロだけではありませんでした。急いでいる時に、交通渋滞や列車事故に巻き込まれた時の私たちの焦る感情に、ヤイロの気持ちを重ね合わせることができるかもしれません。
 そんな時に、大群衆の中に長い間病気を患っていた女性がいました。この女性はひそかにイエスの服に触れて病気がたちまち癒されます。そして、静かにその場を去ろうとします。しかし、イエスはそうされませんでした。女性を導き出して皆の前で信仰を明らかにする機会を彼は与えました。すがる彼女の気持ちを、彼女の期待通り以上のこととしてイエスは実現してくださいました。
 ところで、ヤイロの焦る気持ちは現実のものとなりました。娘が死んだという連絡を受けたのです。ヤイロの心中は穏やかではなかったでしょう。どうして私にこんな不幸がと嘆いては、その悔しさや怒りをどこにもぶつけることができなかったことでしょう。しかし、イエスは、最初に自分をすがったヤイロの信仰を決して忘れることはありませんでした。そのまめ家に向かい、娘の命が再び生き返るように癒しを与えたのでした。イエスは、ヤイロの当初の願いを、ヤイロの期待通り以上のこととして実現してくださったのです。
 さて、この2つの癒しの話は共通しています。それは、私たちの想像や願望、期待以上に、イエスは私たちに対して働いてくださったということです。それは、ほんの小さな私たちの神に対する信仰を、イエスは決して忘れておられなかったということです。人生思い通りにはならない。確かにその通りです。しかし、私たちは決してあきらめてはいけません。神は最高と見定めるタイミング、機会を用いて、私たち一人ひとりが喜び生きるために、導いておられるからです。その神のなさることに対して、信頼し続けることこそ、私たち人間の務めなのです。

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