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2019年11月24日「エル・ロイ」(私を見られる神)

2019年11月24日「エル・ロイ」(私を見られる神)

【聖 書】マタイによる福音書1章23~25
【説 教】田代 孝一スタッフ


【説教要約】
 旧約聖書には、人間の赤裸々な姿やドロドロとした人間模様が随所に描かれています。本日の説教題であります「エル・ロイ」という言葉が出てくる創世記16章にもその有様が、これほどまでと思われるほどに描かれています。
夫アブラハムとの間に子どもが出来なかったサラは、アブラハムに頼んで自分の女奴隷であるハガルに子どもを身ごもらせます。ハガルがそのことでサラを見下すようになるとサラは、その矛先をアブラハムに向け、そのようにハガルを横柄にしたのは、あなただとアブラハムを責めるようになります。その責めに耐えられなくなったアブラハムは、ハガルを守るどころかサラに向かって「あなたの奴隷だから、あなたの好きなようにしなさい」とその責任を放棄し、嫉妬に狂うサラのもとに返します。
サラのもとに返されたハガルは、恐れていた通りサラから執拗ないじめに遭い、いたたまれなくなって生まれ故郷であるエジプトに帰ろうとして、身重の体でひとり淋しく荒野をさまよいます。そのような絶望の中にいた時、主の使いがハガルに現れて、次のように告げました「今、あなたは身ごもっている。やがて、あなたは男の子を生む。その名をイシマエルと名付けなさい。主があなたの悩みを聞かれたからである。そして、あなたはサラのもとに帰って、従順に仕えなさい」と。ハガルは、どん底の中で自分に語りかけられた主の名を呼んで「あなたこそエル・ロイ、私を見られる神です」と言い、主からの約束通り、ハガルはサラのもとに帰って無事にイシマエルを出産しました。
この箇所において神様は、私達がどんなに理不尽と思われるような仕打ちを受けて絶望の中に置かれたとしても、その叫びを聞き、そのすべてを見られ、私達を愛し最善の道に導いてくださることをお示しになっておられるのです。
本日の聖書の箇所でイエス様の誕生を前にして、主の使いがマリヤの夫ヨセフに現れて次のように告げました「見よ、おとめが身ごもって男の子を生む。その名はインマヌエルと呼ばれるであろう。これは『神われらと共にいます』という意味である。そしてその子をイエスと名付けなさい」と告げています。
私達は、来週からイエス様の誕生を待ち望むアドベントに入ります。私達の叫びを聞き、どんな時も私達のことを見てくださっている神はまた、私達が罪に汚れ、神から離れ自分勝手に生きている時も、インマヌエル「神われらと共にいます」と約束され、いつも私達と共にいてくださっているのです。


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