私たちは聖書を信じるプロテスタントの教会です。          【教会目標】 キリストの愛が満ち 福音宣教に生きる教会

2023年1月1日「万民の救い」

2023年1月1日「万民の救い」

【聖書】 ルカによる福音書2章22~32節

【説教】 林 巌雄牧師

【説教要旨】
「これは万民のために整えてくださった救いで、異邦人を照らす啓示の光、/あなたの民イスラエルの誉れです。」(ルカ2:31-32)
 
 これは幼子であったイエス・キリストに出会った時のシメオンの言葉です。彼は高齢者であり、長いあいだ神を信頼し続けてきたのではないか、と思われます。

 シメオンは自分がついに出会ったイエス・キリストを「万民の救い」「異邦人の光」「民の誉れ」と言います。つまり、イエス・キリストは、誰かひとりだけの、あるいは、ユダヤ人だけの、特定の人びとだけの、ではなく、すべての人の救い主だと言うのです。

 わたしたちはどのように救われるのでしょうか。聖書やキリスト教会の歴史では、いくつかのことが言われています。正しい行いをする人は救われる、正しい信仰を持つ人が救われる、その信仰は神さまから与えられるものである・・・などなど。

 あるいは、救われるとはどういうことなのでしょうか。精神的な安心、死後の世界での安定、この世での成功、罪の赦し、神さまとのつながり、神さまがともにおられることなどなど。いつも不安な人や、この世で不遇だった人、罪の赦しを心理的に確信できなかった人は、神さまに救われていないのでしょうか。

 「救いとはこのようなことで、このような人は救われる、このような人は救われない」と二分したい気持ちがわたしたちにはよく起こりますが、神さまの救いは、70点以上は合格、69点以下は不合格、というようなものなのでしょうか。

 「神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。」(ヨハネ3:16)。たしかに、独り子をキリストとして信じる人と信じない人がいるように私たちには思えますが、わたしたちが信じる以前に、神さまは、世=わたしたちを愛し、独り子をお与えくださいました、とこの御言葉にはあります。ここに万民の救い、すべての人の救いの希望があるのではないでしょうか。すべての人の救いを信じつつ、祈りつつ、これを主の御手にお委ねいたしましょう。

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