2023年1月22日
2023年1月22日
「外見上のユダヤ人がユダヤ人ではなく、また、肉に施された外見上の割礼が割礼ではありません。内面がユダヤ人である者こそユダヤ人であり、文字ではなく“霊”によって心に施された割礼こそ割礼なのです。その誉れは人からではなく、神から来るのです。」(ローマ2:28-29)
「ユダヤ人」や「割礼」とありますから、ユダヤ人とそれ以外との違いが述べられているように見えますが、パウロが言いたいことは、外見や人種・民族、目に見える行為などよりも、「心」に関わることが大事だ、ということでしょう。
しかし、それは、行動よりも心の方が大切だ、ということでもありません。たしかに、行為や外見より、目に見えない心が大切だ、という言葉は間違っていません。
けれども、パウロは、「心」というよりは、「“霊”によって心に施された割礼」が大事だと言っているのです。“霊”は、聖霊であり、天にいます創造主なる神さまが今地上のわたしたちに働きかけて下さるお姿(三位一体の「位」)であり、神さまのお心、愛、お力、息、息吹であり、神さまご自身です。
神さまは、聖霊は、わたしたちの心に「割礼」を施して下さいます。それは、神さまの民、神さまの子である印です。大事なことは、目に見えるものではなく、聖霊がわたしたちの心に刻み込んで下さった印、わたしたちが「神の子」である印、神さまがわたしたちを神さまの子どもとして下さった恵みなのです。(い)