2023年4月30日
2023年4月30日
「わたしたちの古い自分がキリストと共に十字架につけられたのは、罪に支配された体が滅ぼされ、もはや罪の奴隷にならないためであると知っています。死んだ者は、罪から解放されています。わたしたちは、キリストと共に死んだのなら、キリストと共に生きることにもなると信じます。」(ローマ6:6-8)
わたしたちは、自分にしっかり心を向けることは非常に大切ですが、どうしても、自分中心になってしまい神さまや隣人を忘れがちです。それが罪です。自分のことだけを考えようとするこの罪の力は非常に大きなものですが、キリストは十字架と復活によって、この罪の力を克服してくださいました。
わたしたちは、洗礼によってキリストと共に十字架につけられ、罪の力に支配されるままであった古い自分は滅ぼされました。古いわたしたちは死に、生まれかわりました。
つまり、わたしたちは、もはや、罪の奴隷ではないのです。むしろ、キリストの僕(しもべ)、神さまの僕にしていただいたのです。罪に代わって、神さまが、キリストが、わたしたちの主になってくださったのです。
しかし、罪の後遺症、罪の爪痕は残っています。ですから、罪をまったく犯さないで生きていくことは不可能です。
けれども、罪を克服してくださったキリストにお仕えして、罪や憎しみや優越感や支配欲ではなく、愛と奉仕に生きて行こうとつねに祈り求めていくことは、じゅうぶんに可能です。
わたしたちを愛から引き離す罪の力をわきまえながら、それを克服してくださった神さまに導かれて歩もうではありませんか。(い)