2023年7月2日
2023年7月2日
神を愛する者たち、つまり、御計画に従って召された者たちには、万事が益となるように共に働くということを、わたしたちは知っています。神は前もって知っておられた者たちを、御子の姿に似たものにしようとあらかじめ定められました。それは、御子が多くの兄弟の中で長子となられるためです。神はあらかじめ定められた者たちを召し出し、召し出した者たちを義とし、義とされた者たちに栄光をお与えになったのです。(ローマ8:28-30)
わたしたちが神さまを愛することができるのは、神さまがわたしたちをそのように導いてくださったからです。「御計画」とは、「誰は救われ、誰は救われない」という機械的な決定事項というよりは、神さまがわたしたちを救おうとしてくださる愛の御心のことでしょう。
わたしたちは自分の決断で神さまのところに来たように思うかも知れませんが、神さまはわたしたちのことをそれよりもずっと前から知っておられたのです。神さまはずっと前からわたしたちを愛してくださっておられるのです。
イエス・キリストが洗礼を受けた時、「これはわたしの愛する子」(マタイ3:17)という神さまの声が聞こえてきました。キリストは、わたしたちの兄弟として、その中の最年長として、神さまの愛を受けてくださいました。すると、わたしたちは、キリストの妹、弟でもあることになり、長兄であるキリストと同じように、神さまの子どもとして愛をいただくのです。
わたしたちは神さまの以前からの御心によって、神さまの導きによって、神さまの前に招かれています。そして、神さまはご自分の前で、わたしたちを「義」としてくださいます。つまり、「神さまと義(ただ)しくつながっている者」としてくださいます。わたしたちが義(ただ)しいのではなく、神さまが義(ただ)しいのです。
義とは、機械的な意味で正解であるという冷たい正しさではなく、愛ある義(ただ)しさ、愛で結ばれている関係のことです。神さまは、わたしたちが罪人であり、神さまの救いをいただくような立派なものでもないにもかかわらず、イエス・キリストの十字架により、わたしたちの罪を赦してくださり、わたしたちと愛によってつながってくださるのです。(い)