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2024年2月4日「信仰の木を育てる」

2024年2月4日「信仰の木を育てる」

信仰の木を育てる

「わたしは植え、アポロは水を注いだ。しかし、成長させてくださったのは神です。」(Ⅰコリント3:6)

 私は昨年5月から月一回、元受刑者の社会復帰を支援するキリスト教系施設で実習しました。先月、そこでひとりの元受刑者の方に福音を語りました。私はこの方が主によって確実に変えられてゆくのを見てきました。この日は求められるままに神について、罪について、救いについてお話しし、共に祈りました。彼も祈り、感動して涙していました。私自身、大きな喜びに満たされました。福音を語ることは、もちろん相手のためでありますが、それ以上に自分自身のためでもあります。そこに喜びがありますし、また語ることを通して自分の理解が不十分な点を知らされるからです。

 とは言え、心を開いて聞いてくださる方ばかりではありません。いやむしろ、そうでない場合のほうが多いでしょう。それでも私たちは福音を語り続けるべきであります。そして誰よりも、何よりもまず、自分自身に福音を語るのです。詩篇には繰り返し「我が魂よ、主をほめよ!」とあります。また箴言には「油断することなく、あなたの心を守れ、命の泉は、これから流れ出るからである」(箴言4:23口語訳)とあります。自分の魂の責任は自分しか負えません。誰かに代わってもらうことはできないのです。

 冒頭の聖句にある通り、信仰は植物に譬えられています。その意味するところは、ひとつには「手入れを怠ると死んでしまう」ということでしょう。私たちに与えられている信仰は木のようなものです。この木を大切に育てるならば、やがて豊かな御霊の実(ガラテヤ5:22)を結びます。日曜日に礼拝を献げることも、ひとりで賛美し、聖書を読み、祈って個人的に主を礼拝するのも、聴いた御言を行おうと取り組むのも、主の御前に罪を悔い改めるのも、すべてはこの「信仰の木」を育てる営みに他なりません。さぁ皆さん、私自身のうちなる信仰の木を豊かに育てようではありませんか。皆さんの信仰の木が生き生きと、いのちに満ち溢れることを祝福してお祈りします。(よ)

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