私たちは聖書を信じるプロテスタントの教会です。          【教会目標】 キリストの愛が満ち 福音宣教に生きる教会

2024年4月14日「天の父の心を知って生きる②」

2024年4月14日「天の父の心を知って生きる②」

天の父の心を知って生きる②

「あなたは自分のために、刻んだ像を造ってはならない。・・・それにひれ伏してはならない。それに仕えてはならない。」(出エジプト20:4~5 口語訳)

 第二戒は、直接的には「彫像を礼拝してはならない」という戒めですが、その意味だけなら(古代の人々はいざ知らず)現代の私たちには殆ど関係のないことのように思えます。ところが黙示録には「これらの災いに遭っても殺されずに残った人間は、自分の手で造ったものについて悔い改めず、なおも、悪霊どもや、金、銀、銅、石、木それぞれで造った偶像を礼拝することをやめなかった。」(黙示録9:20a)とあります。これは終末の審きが始まり、全人類の三分の一が死滅したあと、生き残った人間が、それでもなお偶像礼拝をやめなかったという驚くべき描写です。古代の話ではありません。これから起こる未来の話です。しかも、神の御怒りがここまで明らかに示されても悔い改めないというのです。そこまで人々を魅了する偶像とは一体、何なのでしょうか? イエス様は「あなたがたは、神と富(マモン)とに仕えることはできない」と言われました(ルカ16:13b)。すなわち、まことの神に匹敵するほど強力な偶像があるとすれば、それは富(マモン)だ、と言われたのです。黙示録9章20節にある「金、銀、銅、石、木」とはいずれも貨幣の材料です。そう考えてみると、この第二戒が、にわかに現実味を帯びてきます。

 かつて「拝金主義」ということが言われました。1980年代半ばから90年代頭にかけて日本中がバブル景気に狂奔していたころです。「地価は上がり続ける」との土地神話を人々は信じ込み、借金までして土地を買いあさりました。その挙句、バブルがはじけて日本経済は長期停滞期に入り、今に至っています。けれども、拝金主義(おカネ信仰)を悔い改めたかと言えば、今も心のどこかで「経済さえ好転してくれれば、すべて解決するのに、、、」といった儚い願望が私たちの内に潜んではいないでしょうか。

 マモンに屈しないためには、お金の使い方がきわめて重要です。収入から先ず献金を取り分ける、什一献金を祈る等々、献金を大切にする姿勢は私の信仰を守ります。ぜひ自分自身のために献金を大切にしてゆきましょう。(よ)

powered by Quick Homepage Maker 4.91
based on PukiWiki 1.4.7 License is GPL. QHM

最新の更新 RSS  Valid XHTML 1.0 Transitional