私たちは聖書を信じるプロテスタントの教会です。          【教会目標】 キリストの愛が満ち 福音宣教に生きる教会

2024年4月21日「天の父の心を知って生きる③」

2024年4月21日「天の父の心を知って生きる③」

天の父の心を知って生きる③

「あなたの神、主の名をみだりに唱えてはならない」(出エジプト20:7a)

 皆さん、こういう経験はありませんか? 授業が終わった教室、あるいは集会後の礼拝堂などを思い浮かべて下さい。あちらこちらで会話が弾んでいます。あなたも夢中になって誰かと話しています。と、どこかで誰かがあなたの名前を口にしました。すると反射的にあなたは耳をそばだてますよね。たとえ離れていても、あなたの名前が聴こえた瞬間、あなたは反応するでしょう。名前とはそういうものです。名前には不思議な力があります。主の御名もまったく同じです。私たちがイエス様の御名を呼ぶとき、もちろん主は天から聞いてくださいます。いえ、そればかりか、イエスの名を口にしただけで、主の耳はそばだち、主の目が注がれるのです。

 十戒の第三戒が戒めているのはどういうことでしょうか? 思い出されるのはスケワの7人の息子たちです(使徒19:11~17)。彼らは試しに「パウロが宣べ伝えているイエスの名」を使って悪霊を追い出そうとしました。彼らはイエス様を信じていなかった(すなわちイエス様と人格的な関係が無かった)にもかかわらず、イエスの名を使ったのです。すると悪霊どもが彼らに飛びかかって裸にし、傷を負わせました。

 主の名をみだりに唱える、とは主と無関係に生きていながら、名前だけ利用しようということです。これは主を侮る行為です。イエスの名は、おまじないや、お札ではありません。けれどもイエス様は、弟子たちにはご自分の御名を知らせ(ヨハネ17:26)、この名を用いるようにと命じられました(ヨハネ15:16)。ですから私たちは大胆にイエスの御名を用いるべきであります。それによって父が栄光をお受けになるからです(ヨハネ14:13)。

 名前とはそのひとの全人格を表します。私たちがイエスの名を口にするとき、イエス様ご自身が顕れて下さるのです。目には見えない、けれども確かに生きておられる真の神が、その御名で祈るとき、お働きくださるのです(マルコ16:17~20)。なんと驚くべきことでしょう!! 私たちは確信を持って主イエス様の御名を用いてゆきましょう。(よ)

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